[論文] 奈良弘暦者・吉川家の近代 : 陰陽師の身分喪失と暦師の家業継続

書誌事項

タイトル別名
  • [Article] Modernity in the Nara Kourekisha Yoshikawa Family : Loss of Onmyōji Status and Continuation of the Family Business of Calendar Making

この論文をさがす

抄録

弘暦者とは、近世の暦師や暦問屋に出自をもち、人々の手に直接暦を届ける実働部隊として目立たないながらも欠くことのできない、近代の暦の通行制度のうちの「頒暦」のフェーズの末端を担った存在であった。しかし神宮司庁による頒暦制度が成立するまでの過渡期の存在として従来あまり関心を向けられず、資料的制約もあり研究もほとんどされず不明な部分が大きかった。 「奈良暦師吉川家旧蔵資料」(国立歴史民俗博物館蔵)は、近世の暦師に出自をもつ弘暦者・吉川家の近代の動向を、弘暦が制度的に叶わなくなる最終局面まで時系列で跡付けることのできる稀有な資料群である。本稿では、本資料群のうちこれまで看過されてきた近代に関する資料を中心に取り上げ、神宮司庁による頒暦が本格的に稼働するまでの期間に、吉川家が如何なる形で公的に暦の頒布に携わり家業の継続を模索したか、全国の他の弘暦者の動向にも目配りしつつ、国の行政施策との関連に着目しながら明らかにした。これにより、当該期の弘暦者の活動を把握できたとともに、全国の弘暦者の協働のあり方や組織形成、頒暦商社や頒暦林組の全国への頒暦方法、暦の全国頒布のタイムスケジュールの一端も明らかにした。また明治初期の頒暦業に関与した主要な人材についてもかなりの部分明らかにした。 政府は「御一新」を謳い、明治改暦に典型的に現れるように暦のシステムも大きく改められることになったが、実際に暦を全国頒布するフェーズにおいては、頒暦に通暁した旧幕時代の人材やシステムを相対的に長く利用した。明治初期の頒暦における旧幕時代からの人的継続性は明白であり、その頒暦方法もほぼ同型であった。しかしその継続性は、神宮司庁による頒暦制度の成立で途絶え、教派神道・神宮教の構成員による新たな全国頒暦の時代が幕を開けることとなる。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ