[論文] 尋常小学唱歌楽曲委員楠美恩三郎 : 出自背景と音楽教育への貢献

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  • [Article] Onzaburō KUSUMI’s Background and Contribution to Music Education : As a Member of the Committee of Primary School Songs

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抄録

尋常小学唱歌楽曲委員として活動した楠美恩三郎は、現在各地の校歌に名前を残す程度で、ほぼ無名に近い。しかし彼は、弘前藩要職にありながら平曲伝承に誇りを持つ家系に生まれ、幼い頃に宣教師夫人の弾くオルガンや賛美歌に接し、和洋双方の音楽を習得する環境に育った。成人してからは、音楽家として身を立てることを志し、東京音楽学校の師範部を卒業したのち、香川県尋常師範学校、京都府尋常師範学校、京都府師範学校と経験を積む中で、学校の音楽教育に適した作曲技術を磨き、唱歌やオルガン・ピアノなどの練習教本を多々作曲・編集した。晩年に差し掛かる頃には、日本人の心の故郷と言われる名曲が揃った「尋常小学唱歌」作曲に取り組む一方、平曲伝承のための五線譜作成にも尽力した。 本稿は、明治期日本で和洋双方の音楽に関わった人物としての楠美恩三郎に注目し、彼の出自である楠美家が弘前藩政で果たした役割の重要性、およびその一族が音楽伝承を家是とした背景を述べるとともに、香川県尋常師範学校や京都府師範学校などでの恩三郎自身の活動を示す記録を掘り起こし、彼がそれぞれの府県の教育に残した軌跡を明らかにした。特に京都府尋常師範学校在職中に著した『学校必要唱歌集』に掲載された序文を検討することで、恩三郎が持つ音楽への認識を考察し、彼が音楽教育上の音の扱いについてきわめて配慮していた点を指摘した。 また上記に加え、洋楽における活動に加えて邦楽調査活動も併せて見ていくことで、明治時代に地方出身の音楽家として生きた恩三郎の生き方に、武士としての出自の影響、優れた教育者としての姿勢、和洋の音楽が拮抗した近代移行期を体現するような生き方であったこと、の3点を指摘した。

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