[論文] 古代の政治空間のなかの女性 : 国家意志形成との関わりについて

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  • [Article] Women in Ancient Political Space

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抄録

政治空間という概念は幅広いが、本稿では、国家意志の決定・執行及び、国家意志が形成される「場」を政治空間と定義し、そのなかでも朝儀に焦点をしぼって国家意志形成過程への女性の参画を考察したい。 八世紀に女性が朝儀に参列したことは既に指摘されてきた。それは、男女ともの王権への仕奉を前提にした、朝儀への参会が仕奉の一形態だという観念に起因する。 天平宝字四年の藤原仲麻呂の太政大臣任官儀は、仲麻呂を政権の中枢に据えるという王権の構想を、諸司を領導する官人たちに周知するために行われた。女性もここに行立したのは、天皇の意志を官人に周知徹底し国家意志を形成していく過程に組み込まれていたからである。これまでの研究では内侍司が重視されてきたが、王権は、国家意志達成のために他の後宮十二司の女官の動員も必要としたことが、『続日本紀』和銅元年七月乙巳条から明らかとなった。 朝儀への列立にあたっては、五位というラインが重要だった。女性への五位直叙の背景には、朝儀に行立し得る資格を彼女たちに与える王権側の動機があったのである。 『日本書紀』『古事記』にみえる鏡作氏の上祖イシコリトメは、専門職集団を率いる女性リーダーである。七世紀から八世紀にかけて、専門的な職掌で王権へ仕奉した人々の祖先伝承には、部を率いる女性の姿を想定させるものが含まれる。応神紀の吉備氏伝承中の兄媛は、織部を管掌することで王権に仕えた、伴造というべき女性として読み解かれるべきだろう。『日本書紀』に菟狭国造の祖としての菟狭津媛が記され、『古事記』に荒河刀弁という「木国造」がみえる。八世紀には五人の女性国造任命が確認できるが、その背景には、令制以前の女性国造の存在と記憶があったのではないだろうか。 八世紀の女性の朝儀参列は、律令制下で制度化されたのではなく、令制前に遡り得ると判断できる。

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