立山信仰を受容した信濃国の人々 ―特に立山芦峅寺教蔵坊との関係において―

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  • 福江充
    北陸大学国際コミュニケーション学部

書誌事項

タイトル別名
  • People of Shinano Province who accepted Tateyama Beliefs ― Especially in relation to Tateyama Ashikuraji Kyōzōbō ―

抄録

本稿は立山信仰史研究における一課題として、信濃国での立山信仰の広まりを検討した ものである。その際、特に立山山麓芦峅寺の宿坊家・教蔵坊の実態に着目している。具体 的には、教蔵坊が文政8 年(1825)に信濃国の人々から寄進を受けた銅造地蔵菩薩半跏坐 像(現、富山県小矢部市・本覚山観音寺〔真言宗〕に安置)の銘文を分析史料とし、俗名 で刻まれた寄進者名とその住所をすべて整理して一覧表を作成した。そこから教蔵坊の檀 那場(布教圏)を推測し、また長野県に現存する教蔵坊が発給した寄進者に対する領収証 文などの古文書史料とも併せて、教蔵坊と直接的に関係を持ったことが確認できる人々を 数例提示した。 一方、教蔵坊が寄進を受けた銅造地蔵菩薩半跏坐像の製作にあたっては、先述の銘文か ら、同坊の衆徒照界と松本の絞木綿問屋の同業組合「立山講」との関係が背景にあるとみ られ、さらにこの松本の立山講は、越中国の新川木綿の生産・流通状況にも深く関わって いた。こうした当時の新川木綿を取り巻く状況についても、信濃国の人々の教蔵坊への銅 造地蔵菩薩半跏坐像の一件と併せて、両者の関係性についても、そこに師檀関係の存在を 浮き彫りにした。

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