奄美大島歴史深訪(4)― 源為朝の系図とその血流の支配を受けた奄美大島,そして琉球王国 ―

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  • アマミ オオシマ レキシシンホウ(4)ゲン イ アサ ノ ケイズ ト ソノ ケツリュウ ノ シハイ オ ウケタ アマミ オオシマ,ソシテ リュウキュウ オウコク

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説明

本論では,奄美大島を支配した千竈氏や為朝に由来する事柄を中心に,為朝の系図とその血流の支配を受けた奄美大島と琉球王国との関係について可能な限り検証した。為朝は薩摩平氏の一族である阿多忠景の娘と婚姻して一男一女を儲け,その一人は奄美大島の為家の祖として奄美大島を支配,残る二人は鹿児島士族とみられるが十分な検証ができにくかった。為朝の一女は辻殿と呼ばれる娘を生み,その娘が鎌倉幕府第二征夷大将軍の頼家の妻となって公暁を生み,歴史の表舞台に登場,何の因果か叔父の実朝を殺害するという凶事に及んだという事実があった。そして,庶子と言われる俊天は,琉球王国国王と言う地位を得て,その血流は第二尚氏へとつながった。そして為朝自身は生来有した闘う武将であり,ワイルドでダイナミックな生涯を閉じている。為朝とのつながりから琉球王国も奄美大島も歴史上,為朝とはその血脈を通して関わり合い,文化的・政治的影響を受けた。これらの歴史研究過程において知り得ることは,親子や親族間であっても権力争いに巻き込まれながら,義に基づいて闘い,命を落としていたことである。現在の職業軍人が国防の為に外的と闘う必要があるのと同様,為朝の時代もやはり,闘わずば武士ではなく,戦うために作り上げられた集団が武士集団であったと考えた。

収録刊行物

  • 看護学統合研究

    看護学統合研究 25 (2), 26-46, 2024-02-26

    広島文化学園大学看護学部

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