三越PR誌の文学 -鏡花の描く「虚栄」を中心に-

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  • ミツコシ PRシ ノ ブンガク : キョウカ ノ エガク 「 キョエイ 」 オ チュウシン ニ

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本論文は平成三十一年一月に提出した卒業論文「鏡花作品における近代批判―三越の流行事業と「月下園」―」を一部修正・加筆したものである。序章 三井呉服店は江戸時代の延宝元年(一六七三)に「店前現銀売り」や「現銀掛値無し」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた呉服店の「越後屋」として創業した。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、広く一般市民のものにした。明治期以降、「三井呉服店」と名を改めた後は、様々な経営改革を行う。明治三十八年(一九〇五)一月一日に各主要新聞紙に掲載した「デパートメントストア宣言」や、「流行会」の結成などがその一部である。この改革・計画において、硯友社一派の文学が利用された。特に尾崎紅葉は「新時代の流行のわかる」知識人で、「江戸兒気分を繼承して、面白い気風の人であった」ことから、三越の流行事業に大いに貢献した。本論では三越が事業に利用した文学として、尾崎紅葉の「むさう裏」と「黒紬」、泉鏡花の「月下園」について考察を行う。各作品において、掲載雑誌の着物がどのような形で作品内に現れているかを比較検討する。その上で、それらの描写から見られる各作家の時代風潮の受け取り方を考察する。

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