アトラス山系の地質瞥見

書誌事項

タイトル別名
  • アトラス サンケイ ノ チシツ ベッケン

この論文をさがす

抄録

1952年9月8日以降1週間に亘り, Algeriaの首都Algerで開催された第19回万国地質学会議に, 私は三土知芳・渡辺武男両氏とともに日本代表として列席する栄誉を得た。この会議前のGeneral Excursion には日本代表3名が参加した。会議後の地質巡検には3名の代表は, それぞれ別の班に加わつた。小林はモロッコの地質巡検C33に参加した。会議前のGeneral Excursion は会議前後約50班の地質巡検中最も大がかりなもので, その指揮者はM. Roubault教授で参加者約300名はChampolion号に便乗して, 8月24日にマルセイユを解纜してから9月7日朝アルゼールに投錨するまでの2週間の間, チュニス・アルゼリアの沿岸地帯を遍歴した。これは大体テルアトラスおよびカビレ海岸山脈に属する地帯で, 高アトラスはその背後に位している。<BR>Les Chaines Littorales Kabyles は主に古い地塊とその被覆層からなり Chaine Calcaire の称がある。Les Chaines telliennes は褶曲山脈である。われわれはまずこの褶曲山脈の北東端をチュニスにおいて見, それからアルゼリアにおいて海岸山脈の基盤変成岩類, その古第三紀被覆層, これを貫ぬく火成岩, 新第三紀以後の火山岩を, そしてアルゼリア西部でテルアトラスを見た。これらの巡検はTunis, Bizerte, Bone, Bougie, Oran などに寄港し, 8台の大型自動車に分乗し, 1日200~300哩を走り要所々々にはとまつて見聞する。連日の巡検は相当の体力を要するので, 老人婦人は分かれて名所見物に行くこともあつた。また時には汽車で山脈を横切り, Onenza鉄山や Constantine の旧都を訪れることもあつた。<BR>会議後のモロッコの地質巡検C33は, L. Neltzner, R. Ambroggi の両氏が指揮者で, 時にはM. Gigoux, R. Bourgin らの諸氏も案内に加わつた。参加者は英国からの3名, フランス本国からの1名, モロッコ地質調査所の婦人1名と小林を合して僅かに6名で, 一行約10数名が2台あるいは3台の自動車に分乗して, 高アトラスおよび後アトラス両山地西部地域層序と地質構造とを巡検した。万国地質学会議が終了すると翌朝早々アルゼールから汽車でオランまで, それから先きは飛行機でCasublancaに至り, 休養して9月18日からSafi, Magador, Agadirなどを経て太平洋岸を南下し, 後アトラス山地西端部を巡つてSous河中流のTaroudantにいで, 高アトラスを越えて旧都Marrakechで1日休養, 再度同山脈を越えてOuarzazateの盆地に行き, Marrakechを経て10月2日夜Rahatに帰つた。この間小林はモロッコ地質調査所および巡検班指揮者の好意によつて, Sout河の南岸後アトラス北方に位するl'Amouslek の下部寒武系層序の検討を行なうために, 案内者とともに2日間 Taroudant から族行團の一行とは別れて特別の地質調査を行つた。そして10月3日4日の両日に調査所所藏の寒武系下部三葉虫を見た。L'Amouslek丘陵地では最近, Redtichia様の三葉虫がOlenellidaeの三葉虫とともに産出するので, 極めて興味ある層序で世界の寒武系研究家間の注目の的となつている。この層序に対する私の所見は, A brief Note on the Lower Cambrian of Morocco としてモロッコ地質調査所から出版されるはずであるからここには省略し, 以下主にモロッコのアトラス山系の地質について述べる。

収録刊行物

  • 地学雑誌

    地学雑誌 62 (4), 167-171, 1953

    公益社団法人 東京地学協会

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ