Introduction to Our Anthropological Studies on the Japanese-American Hybrids

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  • 日米混血児とその人類学的研究について
  • ニチベイ コンケツジ ト ソノ ジンルイガクテキ ケンキュウ ニ ツイテ エイブン

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第2次世界大戦終結後,占領軍であるアメリカ兵士と日本女性との間に,相当数の混血児が生れた。Elizabeth Sanders Home はこれらの混血児のうち,何らかの理由で親が養育困難なものを収容する施設として,1948年に沢田美喜夫人によって神奈川県大磯に設けられた。若干の純日本人,アメリカ兵士以外の者を父とする混血児も含めて,同ホームの公式の名簿には,開設以来1966年末までに722人の子供達の名が載っている。しかしながら,これらの子供達のうちには,再び親に引取られたり,アメリカ人その他の家庭に養子にもらわれていったりして,退所していく者も多く,Home に収容されているのは,いつも120~150人くらいであった。<br>我々は1949年以来今日まで,これらの混血児の個人追跡的調査を行ってきた。ただ1回調査を行い得ただけで,次の調査の際にはすでに退所していたという者もあるが,毎年春秋2回の調査を,この15年間欠かさず受けたという者もかなり居る。出生年別の被検者数は Table 1の通りである。1950年生れが最も多く,1952年以後の生れの者は全体の27.4%に過ぎず,1946年から1955年までに生れた者が全被検者の88%になる。<br>このように占領軍兵士によるという事情のため,父親の人種(白人か黒人か)や混血の程度(どの程度黒人の血が混じっているか)などを知ることが困難なケースが多い。中には捨子であつた者も居る。そこで父の人種の判定は,母の証言を基礎とし,さらに子供の皮膚の色•毛髪の色•虹彩の色•毛髪の形•二重瞼•蒙古ヒダ•耳垢の乾湿などをしらべ,それらの綜合判定によった。父の人種別•子供の性別にみた被検者数は Table 2の通りである。これらの中には,同一女性を母として,白人を父とした兄と黒人を父とした妹という異父兄妹が含まれていたが,調査途中で2人ともアメリカ人の家庭に養子として引き取られていき,連続観察はできなかった。<br>これらの被検者についての個人追跡的研究は,現在なお継続中であるが,一部については,それぞれの分担研究者によって中間的な研究発表の行われたものもある(文献表参照)。この特集は,それに続くものの一部を収録したものであるが,本研究の全分野を含んでいるわけではないことを,おことわりしておく。我々が研究の対象としている混血児たちのもつ最大の欠点は,両親が不明で観察できないということであろう。混血児の研究に両親の資料が得られないということは,遺伝学的な分析を著しく困難にしている。個人追跡によって発育の経過とその特性とを明らかにすることも,本研究の一つの目的であるが,途中退所する者が相ついでおり,10年以上にわたって長期間継続観察できた被検者の数が100人に達し得なかったことも残念な点である。<br>しかし同一施設で共同生活をしているということは,研究者にとって大きな利点である。それは,短時日に多人数についての調査ができるという便利さも見逃せないが,それよりも,子供達が同じ場所で同じ食事をとり,同一の生活を営んできているため,個人による環境のちがいということをほとんど考えずに済むことが,研究上の大きな利点となっている。多くの子供がごく幼い時に入所していることを考えるとき,この事実のもつ意義は強調されてよいと思う。子供達がこの Home に入所したときの年令は Table3の通りで,出生後満1才までのあいだに収容された者が最も多く,3才までに入所した者が全体の70%を占めているのである。

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