6. 高任・将翁/賢治・梅太郎 : 岩手の化学風土記(化学風土記 : わが街の化学史跡)

書誌事項

タイトル別名
  • Four Historial Figures Related to Chemistry in the Iwate District
  • 化学風土記--わが街の化学史跡-6-高任・将翁/賢治・梅太郎--岩手の化学風土記
  • カガク フドキ ワガマチ ノ カガク シセキ 6 タカトウ ショウオウ ケン

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抄録

幕末期の洋式高炉の築造および安定した製鉄は, 南部藩士大島高任の手によって, 釜石市大橋ではじめて成功している。日本の近代製鉄のルーツがここにあるのはいうまでもないが, さらにさかのぼると, それより一世紀以上前, 盛岡出身の本草家阿部将翁が, 大橋付近に磁鉄鉱を「発見」したことにはじまる。将翁は, 幕府の採薬使として, 薬草・薬石を求めて国内を巡り, 彼が採集した薬草は, 小石川・駒場の両薬園に植えられるが, 彼が当座の「植溜」とした場所が盛岡市郊外にあった。明治期に入ると, 政府の方針で全国初の高等農林学校が盛岡に設立される。その農芸化学科に学んだのが宮沢賢治, そして当時教授として在任したのが鈴木梅太郎である。賢治は, 「植物営養論」の講義で梅太郎と出会う。同校校舎跡(現岩手大学キャンパス)を訪ねると, 「鈴木梅太郎によりビタミン研究ここにはじまる1904年/宮沢賢治ここに学ぶ1915-1918年」と刻まれた記念碑が立っている。

収録刊行物

  • 化学と教育

    化学と教育 39 (2), 185-189, 1991

    公益社団法人 日本化学会

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