彦根藩における水道について

書誌事項

タイトル別名
  • ON THE WATER WORKS ORIGINATED IN EDO ERA IN HIKGNE DISTRICT

抄録

琵琶湖湖北に位置する旧城下町彦根、長浜には、近代水道が敷設される以前複数系統の水道があり、長浜では現在もその一部が利用されている。井伊家35万石の城下町彦根では、城内および城下町に水道があった、城内の水道は外堀に水源を持ち、表御殿などに給水したもので、その創設は表御殿の成立した元和8年 (1622) とされる。竹樋、木樋、石樋の系統があり、また四角形断面の陶管も発見されている。絵図の記述と地盤高などの対比により、水源は外堀の水そのものではなく、地下水を利用したと推定できる。水道の管理は普請方による。城下町の水道 (複数) は、井戸を水源とし、井戸組による管理が行れている。<BR>秀吉により建設され、後彦根藩の在郷町になった長浜にも複数系統の水道があった。史料は未確認であるが、同市内で現在水道工業所を経営する宮川源造氏はそれら施設の修理の経験があり、氏の話から近、現代の概要を示す。井戸を水源とし、竹樋などで配水する各水道は、数世帯から数十世帯を構成する井戸組により維持管理されており、水源は町より約1キロメートル離れた「しょうず」地帯と呼ばれる湧水地から、大正時代に給水区域内での上総掘りによる掘り抜き井戸に変った。彦根、長浜の城下町の水道は基本構造において近江八幡の水道と同一であり、複数の小規模の施設が不良水地域を覆っている。これらの水道の創設時期は近江八幡水道と同じ頃と考えられ、暗渠を採用した水道としてはわが国の水道でも最も古い方に属す。

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被引用文献 (1)*注記

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001204327026176
  • NII論文ID
    130004037994
  • DOI
    10.11532/journalhs1981.6.123
  • ISSN
    18848133
    09134107
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
    • Crossref
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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