中国植物に関する日本の研究

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タイトル別名
  • The Japanese studies on the Chinese plants.
  • 中国植物に関する日本の研究〔英文〕
  • チュウゴク ショクブツ ニ カンスル ニホン ノ ケンキュウ エイブン

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抄録

中国の医学や薬物に関する書籍は6世紀の中頃に日本に伝来した。中国薬用植物と日本野生植物との同定は19世紀の中頃まで,日本の本草学者の主な仕事であった。私は日本の従来の伝統的な同定を現代の中国の植物分類地理学的著作を参考にして再検討した。それぞれの植物漢名は中国古典にある原記載と原産地によって現代の学名に同定した。私は『本草の植物』1-638頁(1985)を保育社(大阪市鶴見区鶴見4-8-6)から出版した。また,その追補を続本草の植物として『植物文化史』405頁~613頁(1987)に保育社から出版した。これによって久しく誤り同定されていた植物を正しく同定したが,なお原記載や産地が不十分で同定のできないものも多い。中国植物の同定で革期的な研究は小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(1803)と松村任三の『改訂植物名彙前編漢名之部』(1915)であろう。これらは原記載や原産地を意識しての同定はやっていない場合が多い。19世紀の後半から日本の植物分類学者が日本の植物に学名を同定し始めた。20世紀から日本の植物分類学者は台湾,中国東北部,朝鮮,南樺太の植物を研究し多くの新種を発表した。20世紀の後半から日本の植物分類学者はヒマラヤ・ヒンズークシ,東南アジアの植物を研究し,多くの新種を発表した。これらの地域には中国と共通している植物が分布しており,中国の研究者と日本の研究者がともに協力することが必要である。その協力に基づき21世紀には革期的な進歩が期待される。この論文は1989年10月4日に中国雲南省昆明で開催された国際植物資源学術討論会で講演した。中国科学院昆明植物研究所創立50周年式が7日にあった。外国からは日本からの講演者や参加者が最も多かった。岩槻邦男,近田文弘,坂田完三さんらは同窓であるが,津村研究所の三橋博所長や同研究所員が多く来ておられた。広島大学の田中治さん,横浜大学の栗原良枝さん,静岡大学の北川淳子さんなどである。フランスからはJ. E. VIDALさんも参加した。昆明の街ではキクの花盛りであった。日本にあるものと同様である。華亭寺でカワイスギCryptomeria japonica var. sinensis SIEB. et ZUCC.の大木があった。日本のスギときわめて似ている。西山では路南鳳仙花Impatiens loulanensis HOOK. f. が多く,よく咲いていた。昆明植物研究所にメキシコ原産のベニチョウジCestrum purpureum STANDL. が赤い花をぶらさげて美しかった。

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