近世日本における魚附林と物質循環

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  • キンセイ ニホン ニ オケル ウオツキリン ト ブッシツ ジュンカン

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抄録

日本における魚附林思想は1600年代初頭にはすでに存在していた。魚附林の背景には当時重要な産業資源(食料、肥料、灯油など)となっていたイワシ漁業育成の問題があった。1623年、佐伯藩初代藩主・毛利高政の御触書に「其浦組中山焼候事、当年より堅無用二候、其子細者山しけらす(繁らず)候へハ、いわし(鰛)寄不申候旨聞届候」との記述がある。毛利高政は1604年にはイワシの重要性を認識していた。1700年代の盛岡藩・村上藩の魚附林はサケ種川制と関連があった。また、1897(明治30)年制定の森林法で保安林として魚附林が設定されたのは江戸中期から明治初期までのサケ漁の振興策との関係があると思われる。近世日本ではイワシは魚肥として内陸部に大量に投入された。サケは海の物質を内陸部に運ぶ「運搬者」でもある。以上のことから本論では、海由来物質の内陸部への移動を図るために、近世日本の魚附林思想が展開したと推定した。

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