脳死・臓器移植問題とある仏教者の対応 : 『私は臓器を提供しない』における山折氏の主張をめぐって

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タイトル別名
  • A certain Buddhist's stand toward brain death and organ transplants : On Mr. Yamaori's argument in "I Won't Donate My Organs"

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抄録

本小論は、ある仏教者の脳死・臓器移植反対論を検討することによって、その問題に対して宗教者に期待されるアプローチを示唆しようとするものである。山折哲雄氏の脳死・臓器移植反対論は非常に興味深いものであるが、反対に成功しているとは言い難いように思われる。その理由は次のとおりである。1)彼は脳死・臓器移植に際して死の作法が本来的に成り立たないというが、必ずしもそうとはいえない事例がある。2)彼は捨身飼虎の説話成立の過程に遡って臓器提供を否定するが、それは歴史的批判に基づく否定であって、仏教精神に基づく否定とはいえない。3)彼は断食したいので臓器を提供しないと主張する力て、それは不十分な前提から導かれている。また、彼の主張には次のような特徴や限界が見受けられる。1)一つの説話/教義だけに基づいて反対の意見を導いている。2)はじめから彼の理想とする死の作法や断食死を想定して議論しているため、事実上、脳死・臓器移植問題は議論から閉め出されている。3)その結果、ドナー、レシピエント、およびその家族といった、臓器移植をめぐる人たちが議論の外に置かれている。以上を踏まえると、特に宗教者には、次のようなアプローチが期待されるだろう。1)現代医療の諸問題に対して宗教の側から発言する場合、個々の教義からではなく、できればその宗教の根本原理から説明、あるいは議論の展開をしていただきたい。2)宗教者は死の専門家とみなされているのだから、死にゆく人に共感を示しつつ、現代医療、特に救急医療の現場をよく知った上で、その専門知識や経験を生かしていただきたい。

収録刊行物

  • 生命倫理

    生命倫理 13 (1), 140-149, 2003

    日本生命倫理学会

参考文献 (8)*注記

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