現存した寛永15年日本図の下書き図

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タイトル別名
  • An Extant Draft of the Map of Japan of Kan'ei 15 (1638)
  • ゲンソン シタ カンエイ15ネン ニホンズ ノ シタガキ ズ

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抄録

従来、いわゆる「慶長日本図」と称されてきた国立国会図書館所蔵日本総図の慶長期成立は誤認であって、正しくは島原の乱直後の寛永15年(1638)に作成された日本総図の写であるという筆者の見解は現在では大方の認知を得たようである。幕府大目付の井上筑後守(政重)は寛永15年に日本総図の作成を理由に中国筋諸国に国絵図の提出を要請したことが明らかになっていた。しかし著者は日本総図を編集するのにどうして中国地方の国絵図のみでこと足りたのかが理解できなかった。ところがこの度新しく発見された南葵文庫所蔵の『日本全国図』によってその疑問が解消された。この『日本全国図』は寛永15年日本図の下図とみなされるが、この図では中国筋諸国に限って渡河方法の注記が著しく欠如している。幕府が島原の乱後に軍事的理由で作成した寛永15年日本図(国会図書館蔵日本総図)は街道筋の渡渉地点で舟渡りか歩渡りかといった渡河方法を注記するのが内容上の目立った特徴である。幕府は寛永15年日本図の編集に際して中国地方での渡河方法の情報を補う必要から中国筋諸国に限って国絵図の調進を要請したのである。

収録刊行物

  • 地図

    地図 48 (3), 1-9, 2010

    日本地図学会

参考文献 (14)*注記

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