「環境倫理学の哲学的再検討-学際的観点から」への質問

DOI

書誌事項

タイトル別名
  • Einige Fragen an Herrn Prof. Kito und Vorschlag

抄録

鬼頭氏は「環境倫理学の現在の大きな潮流は、人間と自然との二分法の中で議論が行われている」と指摘し、このような環境倫理学の枠組みを超える環境倫理学の新たな基本的枠組みを「より学際的な視点から」提起しようとする。即ち、民族学的な文化人類学や地理学の成果を援用しつつ、「特定の人間と自然とのかかわり合いの在り方、人間の営みから出発しようとする」立場をとることで問題を新たに捉え直そうとする。ここで氏が注目するのは「近代化の波に洗われつつあって必ずしも昔のような形ではないにしても、いまもなお、自然との深いかかわりを持ちつつ生活をしている人たち」の在り方である。このような「伝統的生活にあるさまざまな自然とのかかわり」においては、(より下部構造的な「自然とのかかわり」である) 「社会的・経済的リンク」と(より上部構造的な「自然とのかかわり」である)「文化的・宗教的リンク」との間の不可分のネットワークが存在している事実が指摘される。このような「かかわりの全体性」の中で生きられる「生身の自然」、及びその対極の事態、つまり諸リンクが切断され自然が「切り身」化している事態、この二つが、環境問題を論じるための新たな理念型として提起される。そしてこの分析を出発点とすることによって、人間中心主義対人間非中心主義という従来の枠組みの超克がはかられる。即ち鬼頭氏の独創性は、人間と自然とを対置した上でそれがどのような関係を取り結ぶのかを問題にする従来の議論に代えて、人間と自然との既に取り結ばれている様々な位相での「かかわり」 (リンク) の間の関係はどのようになっているか(「生身」か「切り身」か)ということに議論のレベルを転換した点に存する。本報告では氏のこのような「社会的リンク論」の立場から、生業、労働、所有、風土の問題が考察され、このような様々な観点からの (つまり「学際的観点」からの) 哲学的考察が環境倫理学の枠組みを考えるために重要であると結論される。本報告では、より重要な問題、即ち<環境問題の本質は何であるのか、そしてこの問題を解決するためにはどうすればよいのか>といった問題との連関で「社会的リンク論」を論じることはなされていないが、鬼頭氏は既に別の論文の中でこれに答えている。氏によれば環境問題の本質は、「社会的・経済的リンク」と「文化的・宗教的リンク」とが切断され、自然が「切り身」化している事態の中に存するとされる。これに対して環境問題の解決は、「かかわりの全体性」の回復ということに求められる。そして環境倫理の問題は「科学技術がいかにして、人間-自然系のさまざまなリンクのネットワークの総体に対して、その安定性を崩さないように、あるいは、『切り身』化することなく別の『生身』のリンクを形成するように、受容できるかという、一種の科学技術倫理の問題に環元されてくる」とされる。<BR>以下では環境問題の本質やその打開策というより重要な議論をも射程に含めた上で「社会的リンク論」の有効性に関して若干の質問をし、それを踏まえ、「狭義の意味での哲学」を専攻する者として私なりの提言をしたい。

収録刊行物

  • 哲学

    哲学 1996 (47), 89-92, 1996-05-01

    日本哲学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205321870080
  • NII論文ID
    130003661304
  • DOI
    10.11439/philosophy1952.1996.89
  • ISSN
    18842380
    03873358
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

問題の指摘

ページトップへ