「寛永三年催馬楽再興の記録」を読んで

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タイトル別名
  • カンエイサンネン サイバラ サイコウ ノ キロク オ ヨンデ

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抄録

前号「資料」所収、霜田氏所蔵の掛軸の紙背裏打文書にみえる記録は、たしかに寛文三年九月に行なわれた二條城に後水尾帝の行幸をあおぎ、徳川秀忠・ 家光が歓待をつくした記録の断簡には違いない。示された記録以外に二行ほど断片がある由だが、九日の部分だけを収載したと注記されている。<BR>このときの催馬楽再興の模様の一部分については、雑誌 「楽道」 の拙論で少しくふれておいたので興味深く田辺先生の解説を読んだ。引用されている記録は「 九日」 の個所だけを掲げ、「 雅楽の演奏は九日だけに行なわれている」 とし、また 「 九日には (猿楽 ) 能楽と雅楽とが演奏された」 と、特別な解題をされている。<BR>しかし、所収の記録をよみ、手近かにある二條城行幸記および続史愚抄と、徳州実紀 (巻七・ 八) だけで調べた結果、霜田氏所蔵の巻子本には若干の錯簡のあることが確然とした。

収録刊行物

  • 東洋音楽研究

    東洋音楽研究 1965 (18), 232-234, 1965

    社団法人 東洋音楽学会

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