地歌三味線の調絃について

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  • JIUTA SHAMISEN TUNINGS:

抄録

I〕主要調絃法の成立年代<BR>1) 1526~1590 (三味線渡来後~ 三味線組歌作曲以前)調絃法は不明であるが, 後に出現する三味線組歌のほとんどは「本調子」であることより, 多分「本調子」らしきもの, 琵琶の影響を受けたものではないか.<BR>2) 1590~1620 (文禄, 慶長頃~ 寛永頃)この頃までに「本調子」は固定したと考えられる. 石村, 虎沢両検校あたりが, その頃のはやり歌などを弾きかためて, 組歌としての形態をつくり上げたと推定できる. この両検校作曲として現在に伝わる曲は「本調子」である.<BR>3) 1660頃 (寛文の前後)二上り, 三下り調子の存在は認めてよいであろう. 柳川検校作曲の三味線組歌に, 二上り, 三下り調子の曲がある. 曲の中途での調子変えはない. 三十六声麓の塵 (1732) に三下りは柳川, 二上りは佐山がはじめたとの記事がある.<BR>4) 1680頃 (貞享頃)二上り, 三下り調子は本調子なみに使われている. 調子変えも自由にされている. 大ぬさ (1685) に, 二上り, 三下り調子の合わせ方が記述されている. 二上りにくらべ三下りはあまり用いられずとある. また調子変えをもつ三味線曲名があげられている.<BR>5) 19世紀初期より, 一下りあるいは三上りが用いられた. 歌本の記載曲よりみて, 在原勾当, 三津橋勾当が, はじめて用いたか?<BR>6) 19世紀前期に, 六下り (六三下り) が使われる. 菊岡検校の茶音頭にはじめてみるので, 彼の工夫によるか~<BR>II〕調子変えによる転調<BR>A調子変えによる転調の型樹形図にて示すと, 調子変えは次図の任意の個所を連続してとり, 原則としてその回数は3回以下である. 輪環の図にて表わすと, 次図のように矢印にそって変る. もどってもよいが原則として一つ進み一つもどる. とびこしはできない. また, 基本三調子の任意の二つの組合わせの調子変え, すなわち本調子→二上り, 本調子→ 三下り, 二上り→ 本調子, 二上り→ 三下り, 三下り本調子, 三下り→ 二上りの調子変えは, 1680年頃にはあらわれているが, この六個のものの二つ, もしくは三つの組合わせが, それぞれの型となっている. とくに―を附した4つのものの組合わせが多い.<BR>B) 調子変えによる転調の変遷何時の時代においても, 本調子よりの調子変えが圧倒的に多い. 時代が下がるにつれ, 増加率が低くなるに反し, 二上り, 三下りよりの調子変えの増加率は, 本調子のそれより多くなる,<BR>i) 17世紀末より, 調子変えをもつ曲がある. 本調子よりのものが多く,二上りよりのものはほとんどない.<BR>ii) 18世紀後半より二上り, 三下りよりの調子変えが増加の傾向をもつ.<BR>iii) 19世紀の前期より, 種々多様な調子変えがあらわれる.<BR>iv) 19世紀の前期に, 一下り, あるいは三上りと呼ばれる調子があらわれるが, 二上りより本調子に移るとき, 派生的にでるもので独立して使われない.

収録刊行物

  • 東洋音楽研究

    東洋音楽研究 1974 (34-37), 124-84, 1974

    社団法人 東洋音楽学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205337702784
  • NII論文ID
    130003704680
  • DOI
    10.11446/toyoongakukenkyu1936.1974.124
  • ISSN
    18840272
    00393851
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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