潔斎者(ディークシタ)とvrata

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  • The Consecrated and vrata in the Soma Sacrifice

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抄録

ヴラタ(vrata-)は一般に「掟,誓い,誓戒」と解されるが,RV以降は期間限定で遵守されるべき誓戒,即ち儀礼上の祭主の「責務」として重要な意義を持つに至る.ソーマ祭を執行する祭主は冒頭で潔斎(diksa)を行い,潔斎者(ディークシタ)となり,その過程でヴラタと呼ばれる責務を果たすことが求められる.ブラーフマナ文献におけるソーマ祭の文脈では,祭主は潔斎期間中に搾ったミルクを調理しただけの質素な食事を摂ることが規定されるが,これをヴラタと呼ぶことがあり,denom.vratay-a-^<ti>により「ヴラタ[ミルク]を摂る」という意味になる.本稿では,このようなヴラタ食を巡るブラーフマナのアグニシュトーマ(ソーマ祭基本形)章の議論を扱う.潔斎者(ディークシタ)と定例の献供の関係,ヴラタ食摂取の意義解釈について,各学派の視点の諸相と解釈の幅,テキスト構成の差異を含めて考察した.潔斎者(ディークシタ)はアグニホートラを始めとする定例の献供を禁止される.定例の献供はその継続性に意味があり,中断は祭官学者達にとって大きな懸念となった.そこで彼らは,潔斎者(ディークシタ)がヴラタ食を飲むという行為が,供物を祭火の献供する行為の代替となるという解決策を編み出した.体内の生体諸機能は神々であるというヴェーダの伝統的解釈とプラーナ・アグニホートラのメソッドを踏襲し,実際の献供は「していない」が,ヴラタ食=供物を体内の神々に献供したので,且つ「していないことはない」という二重性の議論を展開する.ここで,黒YVは「潔斎者(ディークシタ)は供物である」という概念を背後に持つが,白YVではその概念は影を潜めている.各学派は各々別の視点を以てヴラタを論じており,MS/KSの議論をTSは総合し,SBは新たな視点で再解釈したというテキスト間の関係が考察される.

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