A Note on <i>Uttarajjhaya</i> 25.18

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  • 『ウッタラッジャーヤー』25章18偈に対する覚書
  • Note on Uttarajjhaya 25 18

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Abstract

白衣派ジャイナ教聖典の難解な詩句を正確に理解しようとする際, 他のインド宗教における平行表現との比較により, それら難解な詩句の意味がある程度明らかになる場合がしばしばある. 本稿は真の婆羅門のあり方について述べる『ウッタラッジャーヤー』25章の第18偈を取上げ, 他文献に見られる平行表現を指摘しつつ, その意味するところについて新たな可能性を提示した, 本偈については, 嘗て Ludwig Alsdorf 氏が注釈家の解釈を排し新たな解釈を提示したが, Alsdolf は解釈の根拠を示さなかった. ゆえに彼の解釈の正当性を検証するための何らかの素材の探求は, 本偈を検討する際の喫緊の課題である. 筆者は『マハーバーラタ』13章の2箇所に本偈c句 gudha sajjhayatavasa「自習と苦行が覆われている」の平行表現がある事を指摘し, Alsdorf の理解が正当である事を証明した. その上で, c句を比喩で表しているd句「灰に覆われた火」の比喩の意味を探った. この比喩については既に原實氏が『マハーバーラタ』の全用例を踏まえその意味するところを明らかにしているが, 筆者はそれを踏まえた上で, ジャイナ教・仏教文献でもこの比喩が『マハーバーラタ』に見られると同様,「威力のあるものが隠されているが, その力が失われたわけではなく内在している」という意味で使用されていることを指摘した. この事を踏まえ, c句の意味が「自習と苦行は隠されているが内在している」というポジティヴな意味で使用されている可能性を指摘し, 自ら積んだ功徳や行力をひけらかすことなく慎ましくしていることが, 真の婆羅門の美徳と考えられていた可能性が高いことを述べた.

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