Meghadutaにおける河を女性に見立てる比喩について

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  • On the Comparison of a River to a Woman in the Meghaduta

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抄録

雨季の風情,とりわけ雨季における別離の心情の描写は古典サンスクリット文学において好題であり,カーリダーサ(Kalidasa,4世紀から5世紀)の代表作Meghaduta(『雲の使者』)もそれらを主題とした作品である.Meghadutaは,妻との別離に苦しむ主人公ヤクシャが雨季の到来を告げる雨雲を見て妻への想いを掻き立てられ,その雲に音信を依頼する,という構造を基本とする.Meghaduta前半部において,妻がいる都アラカーまでの旅路を雲に語る中で,ヤクシャは雲が旅路で出会うであろう河の種々の特徴を女性のそれに度々比喩している(Meghaduta 24, 28-29, 40-41).つまりこのことは,ヤクシャが頻繁に河を女性に見立てていることを意味し,必然的に,その河と関係を持つ雲を男性に見立てていることを意味する.ヤクシャは,Meghaduta前半部において雲と河を男女に見立て,雲と河の愛を語っているのである.このような事柄をヤクシャが雲に語ることについて,木村[1965]は,河という女性との旅路の恋を楽しむことをヤクシャが雲に勧めていると解釈する.しかし,Meghadutaの主題を考慮する時,木村氏の解釈は作者カーリダーサの真意を汲み取っているとは言えない.ヤクシャは雲と河に自分と妻を重ね合わせ,雲と河の愛を語ることで妻への情欲や切望を吐露している.言い換えれば,カーリダーサは雲と河の愛を描くことによって,別離に苦しむヤクシャの心情を巧みに表現しているのである.本稿では,河を妻に見立てることで別離する夫の心情を描くというカーリダーサの手法を明らかにする.

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