『東京日日新聞』による上海美華書館製鉛活字の使用とその意義

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タイトル別名
  • The Use of Metal Types of the American Presbyterian Mission Press, Shanghai on "Tokyo Nichinichi shinbun" and its Significance

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説明

明治初期に登場した近代的新聞は,1869(明治2)年から1870(明治3)年にかけてに上海美華書館からもたらされた活版印刷技術の技術的発達を牽引した。本稿では,近代的日刊新聞としてはじめて鉛活字を全面的に使用した『東京日日新聞』(1872〔明治5〕年2月21日創刊)を対象にその内容と意義を検討する。『東京日日新聞』の創業者らは,近代的新聞の発行の条件のひとつに活版印刷を数え,上海美華書館から輸入した五号相当の鉛活字を使用したが,必要字種の不足,活字の形状の問題等によって,ごく短期間で頓挫した。本稿では同紙の印刷面を確認し,その内容と,この経験が後にどのような影響を与えたのかを検討する。上海美華書館の印刷技師からもたらされた外来技術である活版印刷技術は,特に草創期においては,これをいかにして実地に利用するかが問題とされていた。短期間に終わったとはいえ,『東京日日新聞』において行われた鉛活字の使用は,競合紙と同様の自家印刷環境の整備を促しただけでなく,後に多くの新聞が追随して使用した五号活字を基準とした紙面体裁の整備を促した。

収録刊行物

  • デザイン学研究

    デザイン学研究 56 (2), 53-62, 2009

    一般社団法人 日本デザイン学会

参考文献 (31)*注記

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205410042240
  • NII論文ID
    110007387820
  • NII書誌ID
    AN00150292
  • DOI
    10.11247/jssdj.56.53
  • ISSN
    21865221
    09108173
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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