脳梗塞により手外筋プラス肢位を呈した一症例

【はじめに】　手指の運動に関わる筋として手関節をまたぐ手外筋、手指に起始し停止する手内筋が存在する。虫様筋と骨間筋の収縮はMP関節の屈曲とPIP・DIP関節の伸展を生じ、手内筋プラス肢位となる。これに対して総指伸筋・浅指屈筋・深指屈筋の収縮はMP関節の伸展とPIP・DIP関節の屈曲を生じ、手外筋プラス肢位となる。今回、脳梗塞により左手指が手外筋プラス肢位を呈した一症例を担当した。手関節以遠の麻痺に対して局所の機能解剖学を考慮し、治療を展開した評価過程および理学療法について報告する。【症例紹介】　本症例は60歳代の男性である。左上下肢・手指の脱力・呂律困難を主訴に当院を受診し、右放線冠に高吸収域を認めた為に入院となった。職業は飲食店を経営されており、妻と二人暮らしである。　（初診時理学所見）　発症翌日よりベッドサイドにて訓練開始し、意識は清明であり指示理解は良好であった。高次脳機能面では左側への軽度の注意障害および病識の低下を認めた。感覚機能は特に異常を認めなかった。運動機能は左上下肢ともにBrunnstrom stage (以下BRST)V～VI、筋力は左手関節掌屈・背屈がMMT3であった事を除き、左上下肢ともにMMT5であった。　左手指はBRST IIIで手指屈曲時に腱固定作用による代償およびMP関節の屈曲不全を認め、手外筋プラス肢位を呈していた。また手内筋プラス肢位を随意的に行うことは困難であった。左手指伸展時はMP関節が過伸展していた。また左手指外転・内転運動および母指の運動も困難であった。【説明と同意】　本稿における各種情報提供においては患者本人に十分説明をし、同意を得た上で記載した。【経過】　発症2日目より車椅子移乗を許可され、4日目には歩行能力（独歩や階段昇降）を獲得したため、5日目より左手関節・手指に対して訓練を開始した。左手関節・手指の麻痺は初診時と著変なく、左手関節より近位部の固定性は体幹・肩甲帯・肘関節などの肢位を変化させても同様の代償運動を呈していた。　運動療法として一つ目に左手関節の固定性獲得の為に代償運動の生じない範囲での掌屈・背屈の自動介助運動を実施した。二つ目に虫様筋、掌側・背側骨間筋を選択的に収縮させる為に、浅指屈筋・深指屈筋を緩めた手関節掌屈位にて代償運動の生じない範囲での手指屈曲の自動介助運動を実施した。病棟では手関節掌屈位にて掌サイズのゴムボールを握る自主訓練を実施した。　発症10日目に回復期病院に転院となり、分離運動は左手指BRST IV、左手関節掌屈・背屈筋力はMMT4に改善し、手外筋プラス肢位も軽度改善した。本人の運動時の主観も5日間の介入前後では、動かしやすくなったとのことであった。尚、左手指の外内転運動および母指の運動機能に著変はみられなかった。【考察】　一般に遠位部の運動を円滑に遂行する為には近位部の固定が重要となる。本症例では体幹・肩甲帯・肘関節などの肢位の違いにより左手指の随意性に変化が認めず、同様の代償運動が出現することから近位部の固定作用が問題ではなく、左手関節より遠位の筋出力が低下している事が左手指屈曲時に手外筋プラス肢位を呈していた一因であると推察した。また手指の運動は手外筋である浅指屈筋や深指屈筋の作用と虫様筋を中心とした手内筋が共同に作用することで成り立っており、手外筋プラス肢位は手内筋である虫様筋の作用の力の不均衡や純粋な虫様筋の麻痺が原因とされている為に虫様筋の機能低下が示唆された。　次に運動療法について述べる。本症例で機能低下を認めた虫様筋などの手内筋は運動単位が小さい単関節筋（遅筋）であり、遅筋は弱い刺激により活動を開始するとされる。これらの事から手指機能の改善の為に近位部の固定性を促通し、同時に弱い刺激での運動により単関節筋である手内筋を促通する運動療法を実施した。　本症例では神経系の自然回復による機能改善の可能性は考えられるが、代償運動から考えられる機能障害を機能解剖および運動学から展開すること事の意義を感じた。【理学療法学研究としての意義】　今回、中枢性不全麻痺に対して整形外科的な視点から代償運動および機能解剖に焦点を当てながら、理学療法評価を展開した。今後も症例を重ねていき考察を深めたい。