関東大震災後の東京市周辺における焼却炉建設ブームとその顛末

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タイトル別名
  • Installation-boom of refuse incinerator in the outskirts of Tokyo City, after the Great Kanto Earthquake in 1923

抄録

1923年の関東大震災を契機に人口の郊外移動がおこり、東京市の周辺町では、生活環境の確保のためごみ焼却炉の設置が精力的に進められた。順調に竣工したものもあったが、住民の反対等で断念するものも多かった。反対運動が特に大きかったのが渋谷町が計画した焼却炉で、建設用地を隣の目黒町に決定したことから目黒町民の反発を招いた。両町の妥協により予定地に建設されたが、焼却時に激しいばい煙を発生したことからその後も問題を起こし、最終的に1932年の東京市の市域拡張にあわせ廃止された。このほど、反対運動に関する資料が見つかったので、報告する。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205591180672
  • NII論文ID
    130004631754
  • DOI
    10.14912/jsmcwm.22.0.60.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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