都市衰退地区における再生の可能性

書誌事項

タイトル別名
  • Urban Revitalization in Inner city area
  • : the case of Western district, Hakodate.
  • ―函館市西部地区を事例として―

説明

函館は幕末に開港され、早くから西洋文化の影響を受けた西部地区では、洋風建築や和洋折衷住宅など歴史的建築物が現存している。明治以降発生した大火後、防火のための道路拡張と家屋改良が行われ、市街地が再開発された。陸繋島に位置しているため、市街地は函館山の南西側ではなく、函館山山麓から離れた北東側に拡大されてきた。外延的な市街地拡張の影響を受けて、中心商業地区は、大正期の十字街から、高度成長期には大門地区、現在では五稜郭地区へと移っていった。  西部地区の産業については、港湾関連の運輸通信業、製造業等が移転し、雇用も失われた。末広町と豊川町の十字街周辺地域では、商店街が衰退し、空き店舗が多くなっている。1999年の中心市街地活性化計画は、函館駅周辺の駅前・大門地区において策定され、西部地区は指定されなかった。弥生町では、函館市立病院が2000年に港町に移転し、医療関連の雇用が失われた。  函館市西部地区には、和洋折衷住宅など独特な歴史的な町並みが存在するが、1980年代の地価高騰の際には、周囲の歴史的町並みの景観の眺望を売りにした中高層共同住宅が多数建設された。これらの用地確保のために、多くの伝統的な住宅が取り壊されるとともに、住民が立ち退きさせられ、人口は減少した。世帯数の増減についてみると、青柳町や舟見町の一部で増加しているが、弥生町や大町では減少している。  産業活動と住民の転出は、西部地区の土地利用に大きな影響を与えた。2004年に舟見町、弥生町、弁天町、元町、大町、末広町、豊川町において空家調査を行った函館市によると、195件の空き家のうち、老朽化のため60件が解体された。発表者は、低未利用地の実態把握のために、弁天町、大町、末広町について現地調査を行った。弁天町では港湾関連施設の跡地が利用されず空閑地になっているものや、大町では老朽化した建物が撤去され、空閑地や駐車場とされているものが多くみられた。こうした低未利用地の再利用が、都市再生への課題である。  都市再生の契機は、1980年代の中高層共同住宅の建設による景観破壊の危機を目の当たりにし、町並み保全を目指して起こった市民運動である。函館市も図1の12町の範囲で景観条例を施行し、一部の地域を高度地区に指定して中高層建築物の規制を実施した。また、まちづくり基金の創設により、町並みを整えるしくみが整備された。基金による伝統的住宅のペンキを塗り替えるまちづくり活動が行われるなど、住民の主体的な取り組みは、都市再生への大きな機運である。  西部地区の歴史的な町並みと港湾地区の再生利用された倉庫を観光資源とした都市観光は、主要な産業となりつつある。ホテルが建設されるなど、観光関連産業の雇用は増加した。伝統的な建築様式に似せてつくられた観光施設もあり、商業的な画一性が個性的な町並みの魅力を喪失させる危険もある。  こうした都市再生は、どこまで起こりうるかが重要な点である。近年の地価の下落した状況にあっては、町並みを破壊する再開発が起こる危険もある。本発表では、西部地区における都市再生の可能性と、その影響について検討する。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205592244608
  • NII論文ID
    130004596611
  • DOI
    10.11518/hgeog.2006.0.25.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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