ニューヨーク市におけるジェントリフィケーションの変化

DOI

書誌事項

タイトル別名
  • Change of gentrification in New York City

抄録

1990年代初頭には景気後退もあり、ジェントリフィケーションは終わるとした論者(Bourne, 1993)もあったが、1990年代においても世界各地でジェントリフィケーションがみられる(Atkinson and Bridge, 2005)。ニューヨーク市では、1990年代もジェントリフィケーションはみられる(藤塚,2007)が、1980年代に比べて性質は変化した。<BR>  まず、エスニシティの変化があげられる。マンハッタン(Manhattan)北部のハーレム(Harlem)は黒人の多い住宅地であるが、ジェントリフィケーションの進行とともに、都市更新事業が行われ、白人の来住もみられるようになった。<BR>  次に、ジェントリフィケーションを惹起させる公共事業の存在である。ロウアーイーストサイド(Lower East Side)では、少数民族の居住者が多いが,1980年代からジェントリフィケーションが進行した。地区内の中心にあるトンプキンスクエア(Tompkin Square)公園では,ここで寝泊まりするホームレスの人たちも多かったが,彼らの居場所は強制的に撤去された。公園の周囲にはフェンスが設けられ,中では親子の憩う姿がみられるようになった(Smith, 1996)。高学歴者の増加にみられるように、ジェントリフィケーションが進行している。公共が関わって、より大規模にジェントリフィケーションが起こっており、反対されることは少なくなってきている(Hackworth, 2002)。<BR>  さらに、ジェントリフィケーションの発現する場所も変化した。早くにジェントリフィケーションの発現した地区はマンハッタンに多かったが、イーストリバー(East River)の対岸のブルックリン(Brooklyn)においても、ジェントリフィケーションがみられるようになった。ソーホー(SoHo)やロウアーイーストサイドに多い芸術家のなかには、賃料の上昇により当地を離れた者もある。ブルックリンのウィリアムズバーグ(Williamsburg)では、工場跡がアトリエなどに再利用され、多くの芸術家が居住するようになった。<BR>  そして、世界都市化に関連した企業エリートの増加によるものである。ブルックリンハイツ(Brooklyn Heights)では,かつてジェントリフィケーションにより再生された近隣に,より裕福なジェントリファイアーが来住しており,Lees(2003)はこれをスーパージェントリフィケーションとして示した。世界的な金融市場や多国籍企業に勤める裕福な居住者が集中した結果,平均所得が高くなったのである。ブルックリンハイツは歴史的建築物の保存地区であるが,その周辺で不動産業者と開発業者は,贅沢な高層住宅の建設を進める一方で,歴史的な特性と近隣の低層の雰囲気が弱まることへの関心をそらすのに熱心であった。スーパージェントリファイアーは、歴史的価値の共有には無関心で、近隣関係にも参加せず、コミュニティが希薄になった。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205593255040
  • NII論文ID
    130004596645
  • DOI
    10.11518/hgeog.2007.0.403.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

問題の指摘

ページトップへ