男女共学家庭科の実現要因とその教科論

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書誌事項

タイトル別名
  • The factors being put into practice coeducational home economics and the theory of home economics
  • Independent curriculum in Nagano prefecture in 1970s
  • 1970年代 長野県の自主編成の教育課程

抄録

目的<BR> 現在、日本の学校の教育課程は基本的に学習指導要領によって定められている。約30余年続いた家庭科教育女子のみ履修という制度もその制約下にあった。しかし、1960-70年代に、自主的に教育課程を作成し男女共学家庭科を実施した地方自治体があった。その先駆は京都府と長野県である。本研究は、長野県に焦点をあて、1)男女共学家庭科という自主的な教育課程の実施を可能にした要因を複合的な視点から明らかにすること、さらに、2)その実現のプロセスの中で、男女家庭科の教科論がどのように検討されたかを明らかにすることを目的としている。1)については、京都府の場合との共通点と相違点に着目し、比較検討する。現在、家庭科教育は、時間数減少などの様々な困難の中で、教科論や教育課程研究はやや停滞しているように見受けられる。本研究はこのような状況に切り込む上での知見を得ることが期待されるものである。<BR> 方法<BR>  1960-70年代の長野県における男女共学家庭科の実現過程に関 する諸文献・諸資料、および、男女共学家庭科の実現に取り組んだ元長野県家庭科教師5名に対するインタビュー調査の両面から分析および考察を行う。<BR> 分析・考察<BR>  1 共学家庭科実現の要因<BR> (1)当時の家庭科の現状に疑問を持った教師達の自主的な勉強会と 自立的な個人の実践がその原点であった。この点は京都府の場合とほぼ一致している。<BR> (2)「長野県高等学校教職員組合教育教育文化会議」(以下「教育文 化会議」)の存在があった。この組織は、「信濃教育会」とも一線を画し、また、「組合運動」に吸収されてしまうことのない別組織として、民主的な教育と文化活動の実践と創造を目指す、実践交流・研究・研修を行う組織である。それは高校の全体の教育課程や各教科の教育課程、さらに様々な教育問題に取り組む全県的な教育研究組織であった。そして「教育文化会議」と「組合」が長野県行政と折衝していく体制があった。京都府の場合は、京都府行政が各教科の教育課程研究を支援する組織を設置したのとは違いがある。<BR> (3)高校教育の3原則を根底にした学校づくりが目指されていた。 「総合制」(普通教育と職業教育の総合)「共学制」「小学区制」からなる3原則を基盤にした高校づくりが根底にあった。この点では、京都府教育行政の方針も同様であった。<BR> (4)家庭科教師を支えた他教科の教師や組合指導部の教師がいた。学 習指導要領には“男子が家庭科を履修してはいけないとは書いてい ない”ことを手がかりに、男女共学家庭科の正当性への理論をうち 立て男女共学家庭科への実現へ向けて他教科の教師も積極的に関与 した。この点では京都府とやや相違がみられる。<BR> 共学家庭科の理論<BR> 「教育文化会議」では、1970年代初頭、科目「総合技術」を構想 していた。それは、普通科・職業科および男子・女子かかわらず、全ての生徒に、労働と教育を結合した総合的な学習の場であり、生産・流通・消費・生活の技術の基本教科であるとされた。学校の教育課程全体を「土台」「柱」「屋根」の3層で構想し、「総合技術」は、「屋根」に位置づいている。その中の「生活」にかかわる部分を広げ、「生活科学」として、家庭一般を構想し、1972年には「生活科学教授資料」が家庭科の教師によって作成された。この「生活科学」は後に「家庭一般」としての生徒が手にする資料となった。そこでの技術とは“手先の技術”のみならず生活を変えていく総合的家庭経営の技術とされた。<BR>

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205595235584
  • NII論文ID
    130006962249
  • DOI
    10.11549/jhee.52.0.8.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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