戦後の高校教育改革と家庭科

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  • Home economics education in the educational reform of senior high school after the Second World War

抄録

【問題設定の背景と目的】<BR>  わが国の中等教育は、第二次世界大戦後の教育改革において、その前期を義務教育の新制中学校として1947年4月に、後期を新制高等学校として1948年4月に発足し、大衆に開かれたものとなった。その際、高等学校の普及には、「小学区制」「男女共学制」「総合制」という、いわゆる「高校三原則」が掲げられた。そのうちの「総合制」の理念は、47年3月31日に教育基本法と同時に制定された学校教育法の「高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする」という高等学校の教育の目的(改正前の第41条)にみることができる。さらに48年1月に制定された高等学校設置基準では「高等学校の学科は、普通教育を主とする学科及び専門教育を主とする学科とする」(第5条)とされ、専門教科を主とする学科の一つに「家庭に関する学科」がおかれた。同時に「新制高等学校の教科課程」の作成が進められ、家庭科は普通教科と専門教科におかれてきた。こうして出発した高等学校とその中の家庭科であるが、以後60年、どのように変化して現在があるのであろうか。<BR>  2009年3月に告示された高等学校学習指導要領の総則の「教育課程の編成・実施に当たって配慮すべき事項」に、「・・・・学校や生徒の実態等に応じ、・・・・義務教育段階での学習内容の確実な定着を図るようにすること」と上げられた。これは高校生の学習の定着状態の問題を露呈させたものともいえる。一方われわれは、教育課程における家庭科の縮小状況を危惧している。こうした状況について、戦後の高校教育改革との関わりで考察し、高等学校教育における家庭科の意義について再考することを目的とする。<BR>  例えば、久冨(1995)は、高校教育改革と絡めて1950~60年、1960~1975年、1975~90年、1990年~の4期に時期区分して高校教育の課題を論じているが、こうした高校教育改革について教科のレベルから、しかも、普通教育と専門教育の両者に位置づき続けてきた家庭科から発言することは意味のあることではないかと考えられ、また家庭科の課題を明らかにするには、普通教育と専門教育の複眼的視点をもって、こうした高校教育改革を関わらせて考察する必要があると考えるものである。<BR> 【方法】<BR>  家庭科の視点で、これまでの、中央教育審議会、教育課程審議会、理科教育及び産業教育審議会等々の答申や高等学校学習指導要領等々から、高校教育改革について分析する。文部科学省の学校基本調査報告書から、高等学校の学科構成等の推移について分析する。<BR> 【結果】<BR>  学校基本調査によると、家庭に関する学科は、1955年度の1,751から1965年度には27万7千まで増加したものの、その後2008年度には375に、家庭に関する学科の生徒数は21万人余りから4万6千人までと、他の専門学科に比べて激減している。またその内男子は5千数百人程度に止まっている。長らく女子のみ必修とされてきた普通教科「家庭」が、1994年度入学生から「男女ともに必修の教科」に改められたことは、家庭に関する専門学科の発展につながっていっていない。「新しい多様化」政策と位置づけられる1991年の第14期中教審答申が示した高校教育の改革による高等学校の再編成が、21世紀に入って各地で本格化していく過程において、普通教科、専門教科のいずれにおいても、家庭科には厳しい状況がつくりだされていることは否めないが、発展の契機や芽を探っていくことが課題である。<BR><BR>  久冨義之(1995)「日本社会と高校教育―新制高校四五年を振り返りつつ」、『講座 高校教育改革』編集委員会編『青年期をひらく制度改革』労働旬報社、p17~34

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205595347968
  • NII論文ID
    130006962389
  • DOI
    10.11549/jhee.52.0.31.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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