「見たい物が見えない」そして「見たい物しか見えない」
説明
1)私の病歴<BR> 2)黄斑症を診断された時の驚きとショック<BR> ある朝発見したほんの小さな歪みはたちまち大きな歪みとなり、私の視界を一変させたが、視界の変化は私自身の世界を変える出来事でもあった。<BR> 3)正常でもなく、手帳を貰うほどでもない黄斑症患者の葛藤<BR> 患者の不安や嘆きは病状の深刻さに正比例しない。もしかしたら日常生活が不自由になるかもしれない、職を失うかもしれない、その瀬戸際に立っている時こそ最も不安が大きく、医療への期待も大きい。<BR> 4)医療関係及び患者の皆さんへ<BR> 黄斑症患者の間でよく言われていることは何だろうか。<BR> 回復しにくい病気であるほど患者は医療不信になりやすい。その中で医療者側と患者が良好な関係を保ちながら医療を受けるためにどんな努力が必要かを考えてみたい。<BR> 5)終わりに<BR> 「見たい物しか見えない」これが今の私の視力を最も端的に表す言葉である。今まで何の苦労もなく見えていた物が見えにくくなった時、それをよく見るためには常に何らかの工夫と努力が必要である。見ようという意志が働かない限り見えないのである。しかし、充分な視力があって、あらゆる物が見えていても、心に残る物はどれだけあるだろうか。どんな人も見ようとする心と心のあり方によって見えてくる物もその姿形も変わってくる。
収録刊行物
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- 日本ロービジョン学会学術総会プログラム・抄録集
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日本ロービジョン学会学術総会プログラム・抄録集 7 (0), 93-93, 2006
日本ロービジョン学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390001205666784000
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- NII論文ID
- 130007005892
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可