大阪市における都市化と用水利用の変遷に関する時空間的分析

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  • Spatio-temporal analysis on urbanization and water use in Osaka City

抄録

<BR>1.研究の目的と方法<BR>  都市の発達とそれに伴う土地利用や人口分布の変化は、河川、湖沼、水路、地下水といった水環境に大きな影響を及ぼしてきた。このような問題に対して今後どのような方策を取るべきかを考える上で、過去から現在に至る都市化と水環境の量的・質的な変化、および人間生活と水環境とを関連づけるものとしての用水利用の変化を理解し、それらの時空間的な関係を分析しておくことが必要である。<BR>  そこで本研究では、およそ100年間(特に最近50年間)の大阪市における都市化の進展、および生活用水(上水道)と工業用水利用の変遷を、データマップとして表現し、その時空間的特性を分析した。使用したデータは、国土地理院発行の2万5千分の1地形図(「大阪西南部」「大阪東南部」「大阪西北部」「大阪東北部」の1927、1967、2001年のもの)から作成した土地利用ポリゴン、水系網ポリゴン・ライン、および行政区別の人口、事業所数、上水道給水量、工業用水取水量の時系列データ、そして各拡張事業期ごとの工業用水道の給水区域図である。<BR> 2.研究の結果<BR> 2.1. 土地利用<BR>  1920年代の大阪市の都市的土地利用は、都心を中心に半径5km程度に収まっており、透水性の土地が50%以上を占めていた。しかし1960年代までに大きく都市化が進展し透水性の土地は20%程度に減少した。その一方で、郊外の東部および南部には農地もまだみられた。2000年代に至っては、非透水性の都市的土地利用がほぼ100%を占めるようになった。<BR> 2.2. 水系網<BR>  大阪は、近世には「水の都」と呼ばれ、多くの掘割を中心とする水路網を有していた。1920年代には、都心にそれらの掘割が残存しており、郊外にも灌漑水路網が充実していた。1960年代になるとそれらは激減しているが、都心の掘割に関しては、モータリゼーションの進展により、道路用地として埋立てられたからである。2000年代において残存しているのは、道頓堀川と東横掘川の一部のみである。郊外の灌漑水路網は、住宅地開発により水田自体が宅地化されるのに伴い消失した。1960年代までの劇的な変化に対して、それ以降2000年代までは、陸域での大きな変化はみられない。しかし一方で海岸部での埋立てが大きく進展した。<BR> 2.3. 人口と用水利用<BR>  人口は、1960年代までは都市化の進展により増加し続けたが、それ以降は次第に減少し、1990年以降は横ばいである。大阪市の生活用水は、従前から地下水利用がほとんど行われず、ほぼ100%淀川の表流水を水源とする上水道が利用されてきた。工業用水としては従来から専ら地下水が利用されており、明治期にはすでに地盤沈下を引き起こしていた。第二次世界大戦後、再び地盤沈下問題が顕在化し、1954年、表流水を水源とする工業用水道が建設され、地下水の利用は禁止されることになった。<BR> 3.まとめ<BR>  以上の分析結果から、都市化と用水利用の変遷を水平的視点で捉えると、1960年代までは、外延的に都市域が拡大し、透水性土地利用が非透水性土地利用へと変化していったといえる。用水利用は、工業用水道が整備された区域から順次、水源が地下水から表流水へと変わっていった。一方、垂直的視点で捉えると、そのような土地利用変化と用水源の地下水から表流水への切替によって、都市内における水の移動が、地表→地下→地表という3次元的なものから、地下空間を介さず地表の空間で収束する2次元的なものへ変化したといえる。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205691589120
  • NII論文ID
    130007013693
  • DOI
    10.14866/ajg.2008s.0.232.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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