16世紀戦国期における阿波国勝瑞城館の三次元CG復原モデル

書誌事項

タイトル別名
  • 3D Digital Landscape Models of the Shozui Castle Town, Awa-koku, in the 16th century using GIS and CAD

説明

<BR>1.はじめに<BR>  1994年度に発掘が開始されたに国史跡「勝瑞城館跡」は、16世紀における戦国大名・三好氏の大規模な居館跡で、越前朝倉氏館や周防大内氏館、豊後大友氏館に匹敵する。13次にわたる発掘では、主殿や会所、濠跡・庭園跡の遺構・遺物が確認されたが、遺構保存のために現在は埋め戻され、遺構や当時の景観を見ることはできない。そこで本研究では、近年試みられつつある三次元景観モデルによる歴史的景観復原法(碓井、2006;矢野・中谷・磯田編、2007ほか)を参考に、これまでの発掘成果のデジタル化を図り、GISやCADを用いて勝瑞城館の復原を試みた。なお本研究は、歴史地理学・考古学・建築学・都市計画学分野の共同研究による平成18・19年度徳島大学パイロット事業支援(社会貢献)「国史跡『勝瑞城館跡』を核とした藍住町まちづくり支援プログラム 」の成果の一部である。<BR> 2.勝瑞城館の概要<BR>  勝瑞は、徳島県板野郡藍住町東部、徳島平野下流部の旧吉野川(明治期以前の吉野川本流)南岸の低地部に位置する。15世紀後半には、阿波守護であった細川成之の代に勝瑞字西勝地付近に守護所が置かれ、守護町が形成されたと考えられる。16世紀になると、もともと細川氏の被官であった三好氏が主家を凌いで台頭し、16世紀後半までに勝瑞字東勝地に戦国城館が成立したとみられる(重見、2006)。<BR>  勝瑞城館は戦国期城下町としては特異な立地形態を示すが、これは吉野川水運や三好氏の畿内進出と関係するともみられている。しかし、勝瑞城館は1582(天正10)年に土佐の長曽我部軍によって開城されており、わずか数十年の命運であった。<BR> 3.勝瑞城館の復原<BR>  勝瑞城館の復原は、以下の手順で行った。<BR> 1)勝瑞城館の3D復原モデルの作成に際しては、ベースとなる古地図や城館図面等がないため、藍住町提供の2006年撮影オルソ航空写真に、GISソフト(ArcGIS9.2)を用いて字図から復原した守護町推定域の土地利用図ならびに発掘遺構図を重ね合わせた。<BR> 2)勝瑞周辺の微地形等高線図の作成にあたっては、国土交通省徳島河川国道事務所提供の5mDEM(標高データ)を活用した。また、庭園部の池跡については、実測に基づいて10cm等高線が描き入れられた発掘遺構図をもとに3Dモデリングを試みた。<BR> 3)勝瑞城館周辺に当時存在していたとみられる町家、侍屋敷、寺院、神社については、CADソフト(Vector Works 12)を用いて3Dモデルを作成し、GISソフト上で土地利用図に出力した。<BR> 4)主殿・会所の建物については、発掘時の柱穴の配置、ならびに近世初期の大工技術書「匠明」「匠明五巻考」より間取りを推定し、外観については朝倉氏一乗谷遺跡の図面・復元図や「洛中洛外図屏風」、光浄院客殿・勧学院客殿等を参考に、CADソフト(Vector Works 12)を用いて平面図・立面図の3Dデジタルデータを構築した。<BR> 5)守護町ならびに勝瑞城館復原図を、3次元3DCGソフト(FormZ, MaxwellRender)で編集し、動画ソフト(Adobe Premiere)で出力。<BR> おもな参考文献<BR> 重見高博 2006, 阿波の守護所(内堀信雄ほか共編『守護所と戦国城下町』高志書院), 359-370.<BR> 碓井照子 2006. GISによる奈良町の3次元景観モデル. 歴史地理学, 48-1, 61-68.<BR> 矢野・中谷・磯田編 2007. バーチャル京都 過去・現在・未来への旅, ナカニシヤ出版.

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205691610880
  • NII論文ID
    130007013716
  • DOI
    10.14866/ajg.2008s.0.212.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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