宇佐飴の歴史と宇佐飴作りの試み

書誌事項

タイトル別名
  • The history of Usa-ame and a trial of making

説明

【目的】大分県にある宇佐八幡宮は八幡宮の総本山で、神功皇后が皇子の応神天皇(八幡大神)を育てる際、母乳の代わりとしたという宇佐飴が、土産として販売されている。しかしその歴史は記録されていない。またかつては大麦ともち米を原料として製造していたが、現在では購入した水飴を原料として製造している。10年毎に行われる勅使祭が平成27年に行われるのを機に、宇佐飴製造技術の保存と伝承を目的に、宇佐飴の歴史を調査し、かつて行われていた方法を記録に留め、さらに宇佐飴の再現を試みた。<br>【方法】歴史と製法について、文献調査と地元の人を対象にした聞き取り調査を行った。さらに県内に昔ながらの方法で水飴を製造している農家が存在していたことから、聞き取り調査をし、これらの情報を基に、飴作りを試みた。<br>【結果】大分県と隣接している福岡県行橋市には、江戸時代末期に同様の飴が存在していた。行橋と宇佐は同じ豊前藩であり、一般人もかなり自由に往来していたこと、さらに飴のパッケージが酷似していることから、何らかの関係があったものと思われる。宇佐飴が文字として最初に登場するのは、元治元年(1864)に描かれた「蓑虫山人絵日記」中である。竹の皮に包まれている長方形のもので、現在の板飴と同様のものと推測される。また今回の調査の中で、全行程を行っていた時の道具一式の存在が確認された。さらに大麦ともち米を原料として、かつて存在した水飴と同様の水飴が復元できた。今後は歴史を詳細に調べ、この水飴を原料とした現在の生活に適合した飴作りを検討していく予定である。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205691612928
  • NII論文ID
    130005044189
  • DOI
    10.11402/ajscs.25.0.173.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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