ヴィエンチャン平野における塩華製塩

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書誌事項

タイトル別名
  • Salt making in the Vientiane Plain :
  • a case of separating salt from salty soil

抄録

<BR> メコン河中流域の地中には、岩塩層など塩を含む地層がある。塩が毛細管現象などで地表に現われれば、農業面で被害をもたらすことがある。しかし一方で人々は、乾季に地表に析出してきた塩(塩華)や塩分を含んだ地下水を利用して製塩を行ってきた。特に塩華を用いた製塩法は、紀元前二世紀にはすでに存在しており、現在もタイ東北部やラオス中部でおこなわれている。本発表では、ビエンチャン平野における塩華製塩の一事例から、塩という資源の利用とそれをめぐる問題について考えたい。<BR>  製塩は乾季の二月以降に行われる。塩華が析出してくる所は「ボー」と呼ばれている。ボーは乾季には広場となっており、その中に塩が染み出し表土上にあらわれる場所がある。塩のついた表土は「キー・ター」と呼ばれる。人々は、竹でつくった「ゴン」という道具でキー・ターをかきとり、それを広場の周りの斜面に作った自分の塩作りの場所まで持っていき、水をかけて塩を溶かし出す。キー・ターから塩を溶かし出すのに、丸太から作った「サーオ」と呼ばれる道具が使われている。サーオの下には穴が開けてあり水を出せるようになっているが、最初はふさいでおく。サーオの底に草を束ねた「ハーン」と呼ばれるものを敷き、その上にキー・ターを入れて水をそそいで一晩置いておく。次の日の朝、穴を開けてやると塩水が出てくる。錘を使って塩分濃度が充分かどうかのテストを行い、濃度が低すぎれば、新しいキー・ターを取ってきて、その水を使って塩を溶かし出す過程をもう一度行う。塩分濃度が充分になったら、サーオの隣にしつらえてあるかまどで大きな丸底の鍋を使って塩水を煮詰める。できた塩は、「ポム」と呼ばれる道具ですくい取られる。このようにしてキー・ターからとられた塩は「クルア・ター」と呼ばれて、昔からその地域の重要な生産物となっている。 <BR> この事例では、ボー付近の村の人々が製塩に携わる。製塩の道具は、大鍋を購入するのにある程度の現金が必要だが、あとのほとんどは手作りで金はかからない。製塩は、人を雇ったりすることはなく家族のメンバーだけで行われる。実際に塩を作る過程は女性の仕事とされており、製塩のためサーオやかまどなどを作った場所を使う権利は母から娘へと受け継がれる。製塩をしない年があれば、借り賃として作った塩の一部を渡す約束で、他の人が道具ごとその場所を借りることができる。だが、空いている場所に塩作り場を作れば、誰でも自由に製塩してよい。ボーは共有の場所と認識されているのである。一九八二年より前には、ボーでは毎年、村人たちによる塩の神に対する儀礼が行われていたという。<BR>  一方、近くにボーがあっても製塩しない家族もある。そのような人々が塩華製塩の塩を手に入れたければ、塩作りをする親戚や友人・知人から分けてもらったり、塩作りをしている人に野菜などさまざまな食料品と交換をしてもらったりする。ボーから離れた村の人々は、やはり、塩作りをしている人を訪ねて、他の食料品と交換に塩を手に入れる。塩作りの季節には、直接ボーに行って交換することもある。逆に、食べる米が足りない人々は、自分たちで作った塩を持って別の村に行き、米と交換していたという。現在では、塩華製塩の塩を売るという例もあらわれてきている。<BR>  現在、塩華製塩の塩が特に求められるのは、それがパー・デーク(塩と米糠を合わせ発酵させた魚)を作るのに特に適しているからである。塩華製塩の塩を使うと魚は腐らない、工場で作られた塩を使うとパー・デークは赤くならずおいしくないと、人々は言う。パー・デークは各家庭で作られ、調味料や保存食として欠かすことのできないものである。おいしいパー・デークを作るために、人々は塩華製塩の塩を手に入れようとするのである。<BR>  一九七五年にボーから数キロメートル離れたところに製塩工場がつくられた。そこでは、塩の溶けた地下水を汲み上げてそれを煮詰めることによって製塩をおこなっている。生産された塩にはヨードが加えられ、食塩として売られている。工場の塩が買えるようになって、それを用いるようになった家庭もある。パー・デーク作りにのみ塩華製塩の塩を使い、他の用途には工場の塩を使う場合も多くなった。それに伴い、ボーで塩華製塩をする人の数も減ってしまった。また、一九九七年には、マークヒアウ川とに堰が作られた結果、増水してボーの一部が水没した。水没した場所に塩作り場を持っていた人々は、更に高い場所に塩作り場を移さなければならなかった。<BR>  このように、塩をめぐる状況は近代化によって少しずつ変化してきている。しかし、塩華製塩の塩は、なお人々に求められている。そして、塩と他の食料品との交換は、人々・村々の間の社会関係を作り上げる役割をも担いつづけているのである。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205691786496
  • NII論文ID
    130007013980
  • DOI
    10.14866/ajg.2007f.0.133.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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