近代地理教育が再生産してきたもの

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  • What Our Geography Education has Reproduced

抄録

1.問題の所在 本報告は近代の地理教育の役割を検討しようとするものである。近年,地理教育の目指すものはという問いかけの答として,「地理的なものの見方・考え方」ということが広く聞かれるようになった。一方で,学校教育に「地域を愛する心」であるとか「愛国心」という言葉を盛り込むことについての議論も行われるようになった。本報告は直接的にこうした議論に言及しようとするものではないが,これらの議論の背景として,明治以降の地理教育がどのような地域像・国家像を描こうとしてきたのか,その際「近代国家」との関係はどのように理解できるのか。こうした点についての十分な検討が必要ではないかと考える。 具体的な分析においては,神社合祀令や郡議会の廃止,あるいは帝国大学をはじめとした高等教育機関の配置などは興味深い事例を提供しうると考えられる。しかし今回は,関連する研究を渉猟して地理教育分野における問題提起を目指したい。2.関連する研究の観点 すでに中山(1997,2000)は明治以降の近代地理教育を通観して,地理教育が時の国家の中枢となる戦略と密接な関係にあったことを示している。しかし,こうした議論はその後充分な展開を見せているとは言えない。発表者らは,こうした状況に一石を投じたいと考えている(荒木・川田・西岡,2006)。 その際,地理教育を前提としたものではないにしても,斯学においては興味深い提起が幾つかなされている。例えば,福田(1996,1997)が「地域文化の創造」として,あるいは野間(2005)が近代の地図の製作の検討を通じて取り組んだ主題には共通して,地域のイメージ,地域観(国家観・国家像)の生成という論点が含まれていると考える。例えば野間の研究では近代の帝国が自身の国家像・地域像を地図によって明示し固定化していく有り様が,福田の一連の研究では,地域住民の運動や地域博物館の展開が地域像を再構築,再生産していく有り様が描き出されている。確かに近代の帝国による地図作製は自らの地域像を具現化していく上での最も基礎的な作業であったといえよう。しかしそのようにして最前線において作成された国家像・地域像を再生産し続けてきた機関は何であったのかと考える時,近代の学校教育,近代の地理教育を第1に指摘することができる。また,福田の文脈に従えば,明治初期の地理教育は,近代国家という「地域文化の創造」ではなかったか。3.近代地理教育が再生産してきた地域像 以上のような文脈を,近代地理教育に当てはめることができないだろうか。明治以降の地理教育も基本的には明治期に作られた地域像を再生産させ続けた装置と見ることはできないだろうか。発表者は,こうした地域観や国家観の生成とその継承ということに明治以降の近代地理教育は一貫して強い影響力を持ち続けてきたと考える。明治期の地理教育が担った役割として,近代国家としての日本像の形成を挙げることができる。そしてその後の地理教育は一貫してその日本像の再生産を行ってきたといえる。その過程は,近代国家という枠組みを疑う余地のない世界観の前提として教え続けてきた,再生産させ続けてきた過程であったと考える。その過程を否定するつもりはない。しかし,それを充分に認識し,再検討する必要があるのではないか。他の一連のポスター発表と併せた問題提起としたい。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205692278016
  • NII論文ID
    130007014693
  • DOI
    10.14866/ajg.2006s.0.218.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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