湖底堆積物に記録される江戸時代以降の神西湖の変遷

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  • Paleoenvironmental changes at Lake Jinzai, Shimane Prefecture since the 16th century recorded in the lacustrine sediments

抄録

1.はじめに<BR> 本研究では,島根県東部の出雲平野に位置する神西湖において,3本の柱状試料を採取し,堆積物中に混入する炭化木片の放射性炭素年代測定とともに,約2cm間隔の試料を用いた層相観察,軟X線写真観察,物性測定,帯磁率分析,CNS元素分析,粒度分析から,江戸時代以降の神西湖の変遷を明らかにして,変化の要因となる人工改変や自然災害との時代的対応関係について考察した.<BR><BR>2.神西湖と江戸時代以降の治水事業<BR> 神西湖は出雲平野南西部に位置し,差海川によって外洋と通じている面積1.35km2,周囲5.3km,平均水深1.1mの比較的小規模な汽水湖である.流出河川は,差海川のみであり,反対に流入河川は,姉谷川,常楽寺川,九景川および十間川である.これら河川のうち,差海川および十間川の二河川は後述するように,江戸時代初期に人為的に開削された河川である.奈良時代に編纂された『出雲国風土記』にはこの一帯が「神門水海」と呼ばれる潟湖で,その周囲は35里74歩(約18.8km)であったと記されている.この「水海」は,当時西流していた斐伊川や神戸川によって運搬される多量の土砂によって,急速に埋め立てられ,1635および39年の大洪水による斐伊川の東流化と,神戸川改修工事の結果によって,江戸時代初期には「水海」の南部が孤立して取り残され,現在の神西湖の原型となる湖になったとされている.当時の神西湖は,非常に排水性が悪く,たびたび洪水を繰り返し,周辺の田畑や村に甚大な被害をもたらすようになっていた.これを解消するために,排水河川として差海川の開削が計画され,1687年に完成した.その2年後の1689年には,東部の未利用の沼沢地を開拓するために,十間川が開削された.しかしながら,その後も度重なる台風などによる洪水の被害を受けており,一番最近では1964年の山陰・北陸豪雨による洪水とそれに伴う水害が報告されている.<BR><BR>3.柱状試料の特徴と年代測定<BR> 2004年8月に,湖心部を通る南北トランセクト上の3地点で,マッケラスコアサンプラーによって不撹乱コアを採取した.3本のコアは,北部よりJZ04-1,2,3コアと命名し,全長はそれぞれ378,178,173cmである.コアの層相は,04-3コアでやや粗粒になるもののおおむね暗灰色シルトまたは粘土層で構成される.ところどころ平行ラミナや,バイオターベーションが発達している.また,コアには粗粒な粒子で構成される層準が複数挟在している.最も長尺であるJZ04-1コアの場合,深度16-20,38-56,100-102,292-316cmの各層準にやや褐色を帯びた細砂-砂質シルトあるいはサンドクラストを含むシルト層が挟在する.とくに,38-56cmでは最上部に炭化植物片を含む有機物粘土層が累重している.これら挟在粗粒層を鍵層として各コア間を層序対比できる.<BR>  また,同コアの深度109および374cmに混入している木片のAMS放射性年代測定結果は,それぞれ190±40,420±40 14C yr BPという年代値が得られ,暦年代に変換するとそれぞれ西暦1740-1810,および1440-1480年となっている.このことから,今回採取したコアは,過去500年間程度の少なくとも江戸時代以降から現在までを記録する堆積物といえる.<BR><BR>4.洪水イベント堆積物<BR> 粗粒層について,軟X線写真観察,粒度分析を行なった結果,そのほとんどにおいて上方細粒化が認められ,それは,堆積物が短期間に運搬・堆積したことを暗示する.また,粒子比重,帯磁率,およびC/N比の結果は,挟在粗粒層が前後の層準に比べて陸源物質を多量に含むことを示している.これらのことは,この挟在粗粒層が,洪水によって大量の陸源性粒子が短期間に運搬・堆積した洪水イベント堆積物と考えられる.とくに,JZ04-1コアにおける深度38-56cmに挟在する洪水イベント堆積物では,同堆積物中の最上位に有機質粘土層が認められることも,歴史記録における1964年の山陰・北陸豪雨による洪水時の神西湖における大量の木材浮遊の証拠を裏付けるものと考えられる.<BR><BR>5.水質変動記録と河川開削<BR> 全硫黄量の変化から過去の水質変化について検討した結果,洪水層を除く表層より深度120cmでは,全硫黄量が常に1.5wt%程度になっているものの,下位の層準では激減する.そして,深度200cmあたりから再び全硫黄量が増加する.この高全硫黄含有量は深度340cmまで認められ,それよりも下位ではほぼ0wt%になる.この変化は,下位より淡水→汽水→淡水→汽水という,少なくとも3回の水質変化を示している.深度340cmの硫黄量が変化する原因は,堆積年代を考慮に入れると1687年の差海川の人工開削に求められるであろう.また,開削後においても,江戸時代中-後期には,一時的に淡水化していたことが考えられる.

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205692879616
  • NII論文ID
    130007015447
  • DOI
    10.14866/ajg.2005s.0.152.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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