養液栽培の導入による施設園芸の持続システム

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  • Foundation of Sustainig of horticulture by hydroponics in Shirako Town, Chiba prefecture

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抄録

I 研究目的と研究対象地域<BR>  日本における農業の主要な担い手として,従来型の個別経営農家,認定農家を中心とした大規模な自立経営農家,農業生産法人,集落営農組織,農業サービス事業体などを挙げることができる。なかでも農業生産法人には,近年アグリビジネスへの参入や,観光農園,直売所,農産物の加工販売など多岐にわたって経営拡大を図る経営体もみられ,近年注目を集めている。他方,地域内で点在していた個別経営農家を一つにまとめることで,彼らのもつ資源や労働力,農業技術や経営の知識などを最大限に活用し,自立経営を実現していくなど,地域農業全体の意欲を高めるという側面も評価されている。本報告では,このような農業生産法人に着目し,白子町の養液栽培団体を事例に,施設園芸農業の持続システムを各々の経営組織の発展過程の分析を通して明らかにする。<BR> II 白子町における施設園芸農業の変遷<BR>  対象地域とした白子町を含む九十九里平野は,戦後,施設園芸地域として発展し,首都圏の野菜供給地として重要な地位を占めてきた。白子町おける施設園芸地域の形成過程は,大きく分けて3つの時期に大別できる。第1に,水稲・根菜類・多品目野菜など伝統的な作物生産から,構造改善事業を利用してビニルハウスを導入するに至った1960年代までの園芸産地形成期である。第2に,1970年代の半促成トマトと抑制キュウリによる年2作の作型を,トマトの2期作へと転換させ,産地化を図っていった施設園芸の成長期である。第3に,1980年代以降の施設園芸の転換期が挙げられる。この時期に,南部の一宮町では大規模な温室ガラス団地が建設され,設備投資により従来からの作目の生産を拡大する方向に向かったが,白子町では,トマトの連作障害や後継者不足を背景に兼業化が進む一方,無加温ハウス栽培や多品目化を図る農家があらわれるなど各々の経営形態がしだいに分化していった。そのなかで施設園芸技術の高度化を図り,農業経営の維持・発展を実現したのが養液栽培の導入によってあらたな品目生産へと転換していった農家である。<BR> III 養液栽培技術の導入による施設園芸維持のメカニズム<BR>  1980年に7戸(うち中里地区は6戸)のトマト施設園芸農家が,1億8千万の事業資金を得て水耕施設を導入し,水耕温室組合(青ネギ)を設立した。設立当初は,ガラス団地を各農家50aずつに分け,1年ごとに圃場を交換し公平さを保つなど共同性をもち,地縁的にまとまりのある農家を中心に集落営農の性格を有していた。これらの農家は地域にとって先駆的な農家であり,追随する若い後継者世代にとって農業意欲を向上させるきっかけとなった。その後,彼らと交流のあった若い農業者を中心に,白子グリーンファーム(サラダ菜・トマト),ロックウール組合(トマト),白子町花卉園芸組合(ガーベラ),水耕とり組合(トマト)が相次いで設立された。これらの組織は,水耕温室組合が取り入れた技術革新を受け入れながらも,組織の機能は施設と圃場の提供,資材の共同購入にとどめて個人単位の経営を中心とし,集落を超え広域で参加者を集うなど,地域営農の性格も取り入れた。また,補助事業を申請する際には,取り組める条件の揃った農家のみが参加するようにしたことで,個々に応じた経営を維持することが可能となった。これら5つの団体は,定期的に情報交換や交流活動をおこなって関係性を維持しており,新規事業の際には,組織の枠を超え品目ごと水耕の方式ごとに農家が連携をもつこともある。自立経営のやりがいと共同組織としてのメリット十分に活用し,個人と集団が柔軟な関係を保っていることが,持続的な経営,組織づくりを可能にした要因であるといえる。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205692884736
  • NII論文ID
    10020532089
  • NII書誌ID
    AA1115859X
  • DOI
    10.14866/ajg.2006f.0.28.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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