富士山麓における茅場利用と財産区
書誌事項
- タイトル別名
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- Use of thatch fields and the property lands on the foot of Mt Fuji.
抄録
1.はじめに<br> 富士山のすそ野は農業にあまり適した土地ではない。農地は土壌の厚く積もった場所に限られ、土壌の少ない溶岩台地は家畜飼養や茅場として住民に利用されてきた。江戸時代には共有地の境界を幕府が裁許する文書が残っており、マッキーンによる山梨県の平野、長池、山中村の研究はコモンズ研究の草分け的事例として国際的によく知られる(Ostrom1990)。報告者らは2013年に富士山を一周し、明治以降、富士山麓の共有地利用が国家政策との関わりのなかでどのように変化したのか調査をおこなってきた。本報告では、静岡県側の御殿場市印野と富士宮市根原の事例を紹介する。<br>2.結果<br>1).御殿場市印野:明治10年代の地租改正以降、住民の共有地の所有権が国有林(御料地)へ移管された。しかし、住民は宮内庁に嘆願し、交渉の結果、御料地内での耕作や草刈りを認める入会権を得ている。また、大正から昭和のはじめにかけて、江戸時代の村単位の入会権を整理し、行政町村に移管することになった。このため、昭和28年に旧印野村が御殿場市に合併した後も、入会権は旧町村単位で持つ財産区にある(御殿場市史編纂室1984)。<br> 一方、住民が利用する共有林は、明治45年に陸軍演習場として接収され、終戦後は米軍基地を経て現在も自衛隊の東富士演習場となっている。しかし、住民の嘆願と交渉の結果、旧陸軍時代から演習場内での草刈りや耕作が許可され、現在に至る。<br> 現在、印野で入会権を持つのは、国有林組合、民有林組合、茅組合の3団体がある。その区割りの大元締めが印野村財産区組合である。財産区組合の構成員は約4000人おり、演習林のうち、国有林を利用する場合は国有林組合、民有林を利用する場合は民有林組合のもとで利用する。印野村で生まれた住民は基本的に財産区組合に属する。<br> 例えば、茅組合は近年に成立した。印野では実際に茅の生産に従事する人は年々減少し、茅の技術を継承するため、結成された。2013年では組合員21人。うち、入会権の無い人が10数人いる。後継者育成のため、村外の住民に入会権を認めるのかが問題となっている。茅組合では、演習林内で茅を育成する。防衛省との協議で演習のない日に刈り取り作業をし、収穫した茅のほとんどは文化財(白川郷など)の茅葺き屋根の葺き替えに利用する。<br>2).富士宮市根原:山梨県との県境に位置する。ここでも、昭和3年に猪之頭村に陸軍戦車学校ができた。この時に、演習林として共有林が接収されたが、その後も住民が利用した点では印野と同様である。ところが、戦後、陸軍戦車学校は閉鎖された。かわってその土地は終戦に伴い、開拓地として外地から引き上げ者に分配された。このため、現在、住民が利用できる土地は集落付近に縮小した。<br> 印野と違い、根原では農業ができた。山梨県側の溶岩台地で土壌の少ない場所は樹海となっている。また、昭和30年代まで野焼きをして小豆、ヒエ、大豆を作っていたが、現在ではダイコンとシイタケを作っている。<br> 財産区の構成員は16世帯あり、その数は戦後変わっていない。根原の財産区には100%主権がある。外部の人が山菜取りに来たら取り締まることができる。また、根原では「財産区のよい所は村が残ること」という。他所へ移った人は財産区の権利を失う。また、他所からの転入者は、土地を借りられても、住民の総意が無いと買うことはできない。財産区は村人の信頼関係のもとで、村を維持してきた。<br>文献 <br>Ostrom, E. 1990 Governing the Commons. Cambridge University Press.<br>御殿場市史編纂室1984『御殿場市史通史編(下)』
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2016s (0), 100178-, 2016
公益社団法人 日本地理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390001205694568320
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- NII論文ID
- 130007017413
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可