災害による社会問題の変容に注目した復興プロセスのモデル化に関する研究

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  • Case study on modeling of the revival processes

抄録

日本では地震・津波・火山・洪水・土砂災害など,さまざまな種類・規模の災害が頻発している.これらの災害は高齢化や人口の大幅減といった地方が抱える社会問題に大きな影響を与える.しかしながら,災害と社会問題との関連性については,これまで十分に検討されてこなかった.また,自然災害が多様性を見せる日本においては,個々の災害だけではなく,複数の災害を俯瞰して,そこから共通の社会現象を抽出し,モデル化することが今後の災害に対応していく上で極めて重要である.このことは複数の災害が複合した東日本大震災の例を見ても明らかである.本研究の目的は自然現象・規模の異なる複数種類の災害を比較して,復興プロセスや社会問題について共通項目を探し出し,さらにはモデル化して今後の災害復興や地域再生に役立てることである.本発表では火山災害の事例として2000年三宅島噴火(東京都三宅村),地震及び放射線災害の事例として東日本大震災(福島県川内村)を取り上げ,それぞれの被害と復興過程について,その共通点を見いだすことである.  三宅島では,2000年6月以来火山活動が継続し,大量のガスが噴出している.そのため,全村避難が長期間避難するという先例のない事態が続いた.2005年2月の避難指示解除で一般島民が帰島し,同年5月1日以降は観光客の受け入れも再開された.しかし、今後の復興にあたっては多くの課題が残されている.雄山では,中央の火口からSO2を含む火山ガスの噴出が続いている.そのため、三宅村は条例に基づき,火口周辺半径0.7~0.8kmの範囲を立ち入り禁止区域,それを取り巻く半径約2kmの範囲(中腹部の環状林道より上部)を危険区域に指定して,これら同心円状のゾーンには,観測・工事関係者以外の立ち入りを禁止している.観光業の復興が進められた結果,2005年5月から観光客の受け入れも再開された.受け入れ再開直後の観光客数は1日当たり約200人である.これは当初の予想を上回っており,民宿をはじめとする22軒の宿泊施設がこの時点で営業を再開した.観光客の主な目的は釣りとダイビングである.漁業の復興は,阿古地区にその漁港など関連機能を集中させており,2005年2月に復興後最初の水揚げがなされた.しかし,漁業は従事者の高齢化と労働力不足により噴火前の水準には戻っていない.  川内村は福島県双葉郡に位置し,東京電力福島第一原子力発電所から半径30km圏内に位置し,震災前の人口は約3000人であった.2011年3月11日の東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故に放射線災害を受け,全村避難した.その後2012年2月に「帰村宣言」し,同年4月から役場機能を村内に復帰させた.川内村は過疎・高齢化・人口減少という多くの中山間地域が抱える社会問題を被災前から抱えていた.全村避難に加え,村の産業の柱ともなっていた農業や観光業が放射線災害のため,大きな被害を受けた.この結果,人口が大きく減少し問題はさらに深刻化した.一方で川内村は除染作業の進展が他の市町村と比べて早く,帰村のモデルともなっている.2013年10月の時点では完全帰村者は500m,避難生活と自宅との往来者を含めると1455名が帰村している.この段階に至るまで村では村営アパートの建設,ビジネスホテルの設置,村内への企業および再生可能エネルギーの誘致などを実施してきた.さらに村では2013年3月に「川内村復興計画」を策定し,「第四次川内村総合計画」と合わせて3~5年間の計画で村の暮らしと活力の基盤を確立するとしている.  復興プロセスをモデル化するにあたり,今回事例に挙げた三宅村と川内村との共通点を整理する.最も大きな被害は火山ガスと放射線で,物理的被害が少ない反面,広範囲で人が居住できなくなり,全村避難を余儀なくされている.復興過程をみると,両村共に第1の足がかりは行政機能の帰村であった.三宅村では大きく分けて,1.行政機能の帰村,2.産業の復活,3.観光の再開という段階を経る中で人口を回復させている.他方,川内村は2の段階が始まったばかりであり,今後時間をかけて産業を復活させていく中で帰村を促し,村の復興を実現していくものと思われる.ただし,放射線災害は火山ガスよりも長い時間軸で復興を考えなければならない.また,被災前から抱えていた過疎・高齢化・人口減少という社会問題が災害により深刻化したことは両村ともに同じであり,このことが復興の本質的な足かせになっていることは間違いないと考えられる.避難した村民が帰村に向けて抱える問題,不安等は三宅村と川内村とで類似点が多くある.三宅村の経験を川内村の復興に活かすことは十分に可能である.このためにも,今後はさらに事例を増やし,災害復興の一般モデルを構築することが重要である.

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  • CRID
    1390001205694843520
  • NII論文ID
    130005473574
  • DOI
    10.14866/ajg.2014s.0_100004
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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