社会主義後のブダペストにおけるジェントリフィケーション

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  • Gentrification in post-socialist Budapest

抄録

ハンガリーでは, 社会主義体制下において多くの住宅が没収の対象となり、1953年には市内の住宅の77%が国有化され(加賀美,2007)、歴史的近隣における商業的な住宅市場は機能を終えた。社会主義体制下では住宅の補修は十分に行われなかったため、ブダペストでは、若い中間階級の人たちは新しい住宅地区へと移る一方で、ロマの人口が増加し、その多くは歴史的地区の公的住宅へ居住することとなった(Kovács, 2009)。 <br> ハンガリーでは、1960年代後半以降不動産の個人所有が認められ、1980年代に経済が停滞して公営住宅建設が進まなくなった一方で、多くの私有住宅が建てられた (加賀美,2007)。社会主義体制下においても、中心部への若い中間階級の移動があり、社会主義的なジェントリフィケーションがみられた(Hegedüs and Tosics, 1991)。<br> 政治体制変更後にハンガリーでは、旧社会主義政府が没収した資産を、居住者に安価で売却された。1990年代前半には、大量の公共住宅が私有化され、組織的な投資家に売りたい私的所有者を生み出した。  ブダペストでは1990年に市政府から区政府へ権限が移譲されたが、確固たる住宅政策がなかった。社会主義体制下では、住宅は十分な補修がなされず、トイレやバスも備えていなかったため、住宅の取得後に自らの施設内に設備をつくる人たちが多かった。1990年以降、都心から離れていたり、質の悪いものは公共所有のままとされ、それらの多くは社会的衰退した近隣であった(Kovács, 2009)。 <br> 1990年代初頭のブダペスト中心部の変化を検討したSmith(1996)は、居住用の建物はオフィス機能へと吸収され、ジェントリフィケーションに適した不動産が限られる可能性を指摘した。Sýkora(2005)は、中心部では新たな富裕層が占めており、ブダペストでは本当のジェントリフィケーションはないとした。これに対しKovács et al.(2013)は、都市再生に関して区政府が組織的な対応を行ったため大規模な立ち退きはないが、社会的な上向化によるジェントリフィケーションがみられると反論した。  ハンガリーは2004年にEUに加盟し、不動産取得へのEU市民権が適用され、スペイン人や、イギリス人、アイルランド人の取得が多くみられた(Kovács et al. 2013)。このような事例はV区やVI区でみられたが、政治転換以前から衰退地区のあるIX区では都市再生への公的役割が大きく、VIII区では公的住宅におけるロマの居住者が多く、社会的・経済的な格差による地理的不均等が拡大している。<br>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205695554944
  • NII論文ID
    130005635748
  • DOI
    10.14866/ajg.2017s.0_100203
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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