Sugar industry in the American West in the context of global regional geography of modernization

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  • 近代化のグローバル地誌学からみたアメリカ西部の砂糖産業

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19世紀後半から20世紀初めの近代化の時代に、世界各地では著しい地域変化が生じた。そうした変化にはそれぞれの地域の条件を反映して地域差がみられると同時に、世界で共通する特徴もみられた。世界全体でみると、近代化の時代には、鉄道交通の発達、冷蔵技術やオートメーションなどの技術革新、生産活動を伴わない保養都市、労働力の国境を越えた移動、プランテーションシステム、新たな商品流通や金融のしくみなどが展開し、それらはそれぞれの地域の地誌にとって重要な存在である。<br> 従来、近代化にともなう地域変化は、日本の場合にみられるように、それぞれの国や地域の枠組みで個別に学術的関心を集めた。しかし、近代化の時代には人・物・資本・技術・情報が国境を越えて交流し、グローバル化も同時に進行した。したがって、ローカルな地域の枠組みとグローバルな枠組みを連動させて、地誌学の視点により地域変化を考察するという研究法の重要性が認識される。これを近代化のグローバル地誌学と呼ぶことにする。<br> 砂糖産業は、近代化にともなう地域変化と国境を越えた人・物・資本・技術・情報の移動を論じるための格好の事例である。熱帯ではサトウキビが、温帯ではテンサイが砂糖の原料となった。サトウキビが導入された熱帯アメリカとハワイでは、プランテーションシステムによって砂糖生産が展開した。一方、ヨーロッパでは、テンサイを原料とした砂糖産業が発展した。そうした甜菜栽培と製糖の技術はアメリカに導入され、新しいテンサイ糖生産地域が形成された。いずれの地域においても、砂糖産業は著しい地域変化を促した。<br> ブラジル北東部の糖業地帯では、近代化の時代に、16世紀から継続した小規模な製糖場(エンジェーニョ)から中央工場(ウジーナ)へと砂糖生産の単位が変化した。この近代化は砂糖生産組織の大規模化を意味したが、サトウキビ地帯における社会の変革を伴うものではなかった。プランテーション所有者を頂点とする明瞭な階層社会は変化することなく、中産階層は形成されなかった。ハワイでは、アメリカ資本が導入されて、サトウキビ栽培と製糖がさかんになった。ポルトガル人、中国人、日本人、フィリピン人などが移民労働者として流入し、多民族社会が形成された。<br> 19世紀後半にアメリカ西部の開発が進行し、開発のためのあらゆる要素は地域外から持ち込まれた。砂糖産業の場合、テンサイとともに資本、技術、労働力は外来のものであり、発展の基盤となったのは鉄道と灌漑事業であった。<br> テンサイ栽培地域は、大きく分けてコロラド州とカンザス州西部、ユタ州からアイダホ州の地域、そしてカリフォルニア州に存在した。この地域にはテンサイ糖工場が分布し、1910年代後半にはアメリカ西部全体で65のテンサイ糖工場が立地した。テンサイ栽培とテンサイ糖工場での労働に従事したのは移民労働者であった。なかでもロシア系ドイツ人(ヴォルガジャーマン)、日系移民、モルモン教徒、メキシコ人が重要な役割を演じた。日系移民は農業労働者および農業生産者としてアメリカ西部の開発に従事したが、テンサイの栽培と収穫も重要な活動であった。アメリカ西部における砂糖産業の発展と地域変化をローカルな地域の枠組みで検討するとともに、グローバルな枠組みにおいて読み解くことにより、アメリカ西部の地誌を再構築することができる。

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Details 詳細情報について

  • CRID
    1390001205695798144
  • NII Article ID
    130007018034
  • DOI
    10.14866/ajg.2016s.0_100251
  • Data Source
    • JaLC
    • CiNii Articles
    • KAKEN
  • Abstract License Flag
    Disallowed

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