パリ北東の郊外団地の現実と表象

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  • The reality and representations of the north-eastern suburb of Paris

抄録

本発表は、パリの北東15kmにあるオルネ=スゥ=ボワの郊外団地について、2007年、2008年、2010年の調査をもとに報告するものである。フランスの郊外問題は1980年代初めからあったが、2005年秋の暴動がメディアに取り上げられて以降、世界的に知られるようになった。そして、「若者」、「移民」、「暴動」、「麻薬」、「強盗」などの語が、郊外と連動して報道される。フランスは多文化社会であり、とりわけ「シテ」と呼ばれる郊外団地は、旧植民地のマグレブ諸国や西アフリカ諸国だけでなく、トルコ、ポルトガル、インドなどの人々も少なくなく、いわゆる「移民系」のマイノリティの空間と化している。以下、オルネ=スゥ=ボワ3000地区を取り上げ、1)郊外文化、2)朝市とメディアの態度、3)余暇的イベントの実態、4)サッカーの報道と実践に注目しながら、郊外団地の現実と表象、およびその領域化の様相を明らかにする。なお、ここで述べる領域化とは、意識的・制度的・物理的な境界によって空間が囲まれることを指す。 郊外文化は、マイノリティ発祥の新しいフランス文化を構成するが、よく知られているのはラップとシテ言葉である。それらは、サルコジが挑発的に言ったように、マジョリティから、「ラカイユ」の文化とみなされる傾向も強いが、それだけにマイノリティは反発する。領域化の手段である地理的呼称にも独自性がみられる。例えば、オルネ=スゥ=ボワ、その北部に位置する3000地区、さらにオルネ=スゥ=ボワが属するセーヌ=サンドニ県、あるいは3000地区内の区画(アパート群)には、独自呼称があり、それがマイノリティの人々によって強調される。 フランスは、大型ショッピングセンターが隆盛している国の一つだが、同時に、パリでも郊外でも、昔ながらの朝市が数多く残っている。3000地区でも週3回、朝市が開催され、近隣の市町村からの来訪者も少なくない。いわば、ポジティブな場所であるが、マイノリティに共感的なメディアであっても、記者がマジョリティの欧州系か、マイノリティのマグレブ系(フランスでは出自の明示化が好ましくないので、氏名から判断)かによって、訪問記事の在り方も違ってくる。 3000地区では、社会活動の一つとして音楽や演劇やダンスなどの芸術にも力を入れている。そのセンターが文化施設カップである。そこでの催し物には、外部向けのイベントと内部向けのイベントがあり、さまざまな点で異なっている。それは、マジョリティとマイノリティの隔絶を意味するが、社会的な活動として止むを得ない部分もある。 郊外文化や芸術だけでなく、サッカーもまた、郊外を特徴づけるものと言える。すでに1998年のW杯で有名になったように、フランスのサッカーは多文化な選手構成で、いわゆる「ブラック・ブラン・ブール」を代表する。しかしながら、2002年のルペンの悪夢や2005年の郊外暴動を経た2006年のW杯においては、フランスが準優勝したにもかかわらず、「ブラック・ブラン・ブール」には冷めた視線が注がれた。その方法は巧妙で、一見熱気を取材しながら、それに対して専門家の見地を交えて、水を差すというものであった。一方、シテのメディアにはそうした姿勢はなく、マジョリティと繋がろうとする意識がみられた。 オルネ=スゥ=ボワではサッカーが盛んであり、多くのプロ選手を輩出しているが、地元クラブの活動には問題が多い。それでも、サッカー関係者には、ローカルなサッカー文化を評価しつつ、グローバルなスタイルにあわせようとする意識がみられ、社会の融合を目指そうとする姿勢を見出せる。 社会の人々やメディアの多くが「シテ」に対してマイナスのイメージを抱いているのは事実である。そして、そこには先入観やステレオタイプも少なからず存在する。それに対して、「シテ」の人々やメディアは、ときに反発や対抗を示し、ときに融和や強調を模索する。現実や表象は、決して一枚岩ではないし、簡単にまとめられるものでもない。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205696052480
  • NII論文ID
    130005473524
  • DOI
    10.14866/ajg.2013a.0_100085
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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