「鳥取城下全図」の作成技術について

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  • Examination of the Survey Technique of the "Castle Town map of Tottori" in 1859

抄録

1 分析する資料<br> 本報告で主に紹介するのは、安政4(1857)年から6(1859)年にかけて測量・作成された「鳥取城下全図」(縮尺1/1200)の事例である。関連する資料は、現在、主に鳥取県立博物館と同県立図書館に所蔵される。この絵図は「…藩士ノ受領地往古ヨリ引続ノ簿冊ニ雑記セシマテニシテ地図無キ故ニ容易ニ調査スル能ハス、且受領者ニ於テモ不分明ノ地無キニアラス…」との理由から、普請奉行岡島勘之丞が計画して作成することとなり、測量の実務は作事道手奉行岸本平次郎、作事大工棟梁松森十蔵、算術家岡本程平、同中村真一らが担当したという。確認できる関連情報の多くは、明治に入って中村真一が県の業務の一環としてまとめたものによっている。<br><br>2 鳥取藩における実測図作成の展開<br> 鳥取藩では、1800年代にはいると、度々実測図の作成を伴う事業が進められたことが確認される。文政期頃には、国・郡絵図を作成するほか、御立山や井手の絵図を作成し、また天保期頃には村々の田畑地続全図を作成している。これらの図の多くは、盤針術(廻り検地)による測量をもとに作成されていると考えられる。<br><br>3 安政6年「鳥取城下全図」における測量と作図法<br> 一方、安政期の「鳥取城下全図」の作成は、盤針術とは異なり、方位角の計測が「木製ニシテ指南針無シ」の「径二尺ノ円盤」という磁石針の無い器具を用いたと記録される。そうして得られた測量ポイント間の角度と距離のデータなどから、三角関数(正切表)を用いて作図している。測量に関するデータは全図にとりまとめる前の作業図にある程度記されており、その情報をもとに測量の手法や手順、また精度(誤差の配分など)を検討することができる。測量作業は最初に着手した大名小路を基準に進めるものであった。<br><br>4 「鳥取市街実測地図」の事例を素材としたGIS分析<br> まず安政6年「鳥取城下全図」の原図とされている「鳥取市街実測地図」に示された測点の位置精度を検証する。測量作業の起点である大名小路に2つの基準点を定めて、ジオリファレンスを施した。大名小路に対して直行する道では、南西側に誤差が蓄積される傾向があるものの、大名小路の延長上にある道では誤差の蓄積が少ない。また、北の山際の地域では大きな誤差がみられる。平坦で直線的な街区のある地域では比較的高い精度の測量が行われたが、水準測量の技術はそれほど高くはないと考えられる。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205696131072
  • NII論文ID
    130007018109
  • DOI
    10.14866/ajg.2011f.0.100102.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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