神戸市のニュータウンにおける居住者移動
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- 藤森 衣子
- 大阪大学・院
書誌事項
- タイトル別名
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- Residential Mobility in the New Town of Kobe
説明
本研究では、1969年入居以降の神戸市灘区鶴甲団地における集合住宅居住者の移動について検証する。具体的には時系列でみた移動居住者数の推移から社会・経済との関連、また建造環境による比較を行う。あわせて入居第一世代を中心とした居住者の経歴を明らかにすることを目的とする。居住者移動の資料としての住宅地図(ゼンリン)名字データは、問題点を含んでいるため、修正と加工を行った。集合住宅計1120戸を調査対象としたデータと合わせて、長期間居住者への聞き取りを行い、現在に至るライフコースの調査を行った。 鶴甲団地の現在までの移動居住者数の推移をみると、1次分譲(1969年入居)と2次分譲(1971年入居)は、入居年に2年間の隔たりがあるが、いずれも入居10年前後に大きな移動の画期が確認できる(A)。また、阪神・淡路大震災が発生した1995年前後から2000年にかけて(B)と、2008年以降(C)にも増加傾向を読み取ることができる。Aは、転売可能な時期に入り、物件価格も購入時より大きく上昇した時期である。これに連動して近隣移動と、郊外に向かう移動が顕著になり、大きな移動となったことが考えられる。またこの移動の多くは、第一世代によるものであることが確認できる。Bの時期には、阪神・淡路大震災に関連した移動(特に高齢者)が考えられ、Cの時期には、自立的生活維持が困難となった高齢者の移動や、物件販売価格の下落による新旧入れ替わりによる移動の存在が推測できる。2次分譲には、メゾネット形式が210戸/580戸含まれていて、一般的な集合住宅に比べて、第一世代や長期間入居者の定住率が低く、特に阪神・淡路大震災以後の移動率が顕著となっている。 1969年から鶴甲に入居した人々の居住経歴とその後を検証する聞き取り調査の結果から以下のことが考えられる。第二次世界大戦やその後の住宅難を経験した、居住移動回数が極端に多い世代が、家族を形成して高度経済成長期にニュータウン居住を選択した。多くは核家族の形態で入居し、ほぼ同世代の人々と連携し地域社会を形成していった。その後は、経済変動,住み替え指向,阪神・淡路大震災による居住者移動がみられる。しかし移動をせず留まった人々の背景には、地域社会の人々との繋がりの存在があったことが考えられる。
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2012a (0), 100029-, 2012
公益社団法人 日本地理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390001205696264832
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- NII論文ID
- 130005456920
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可