シャイバーニー『アスル』の編纂過程

書誌事項

タイトル別名
  • An essay to reconstruct the redaction of al-Shaybāni’s <i>Aṣl</i>
  • an analisys of a Cairene manuscript
  • カイロ写本「賃約の書」の分析から

抄録

カルダーによれば、九世紀の法学テキストが一般にそうであったように、現在我々が目にするような『アスル』のテキストは、最初に弟子が師の言葉を書き取り、それにたいしてその弟子自身またはそれ以後の編纂者が次々と加筆、修正、並べ替えなどの編集を積み重ねる過程を経て確定され、シャイバーニーの著作とされた。ハッラークも、法源学の著作を資料として用いて、九世紀末までの法学者は、「導出」によって学祖の説から二次的に導き出した説を、学祖の説と識別不能な形でテキスト中に取り込んだとしている。しかし両者とも、用いている資料に由来する制約から、そのような著述の方法がいつどのようにして始まったのかについては述べていない。<BR>本稿は、その過程を、カイロ写本、シャイバーニー(八〇五年没)『アスル』「賃約の書」を分析することによって推察する試みである。この写本の一部は、これまでに刊本になっている最終版『アスル』が成立する前の編纂段階を反映している点で、その編纂過程を知る上で有益な情報をもたらしてくれる。その分析の結果、つぎのような結論を得た。<BR>1.原『アスル』は、シャイバーニーの口述である。<BR>2.そのつぎの段階―編纂の前期―では、原『アスル』を補足・敷衍する形で設例が付け加えられるが、テキストとしては原『アスル』とは切り離された形で作成された<BR>3.最終段階―編纂の後期―では、テキストの混交が行われ、シャイバーニー以降に作成されたテキストが原『アスル』に埋め込まれている。<BR>このように、『アスル』の前期の編纂段階においては新しいテキストは古いテキストとは別個に作成され、また異なる文体が用いられたが、それ以降の編纂段階においてテキストの統一ないし混交が行われ、校訂本の多くの書に見られるようなテキストが確立したのである。このことは、前期の編纂者が学祖の説とそれ以降の学説を区別しようとしていたのにたいして、後期の編纂者には、学祖の説とそこから「導出」によって導かれる学説を全体として一つの体系―つまりはハナフィー派学説―とみなす傾向が見られると解することができよう。

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