一九世紀後半オーストリア民事訴訟における口頭審理と法曹たち

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タイトル別名
  • Austrian Lawyers and Oral Proceedings in Civil Procedures in the Late 1800s
  • イチキュウセイキ コウハン オーストリア ミンジ ソショウ ニ オケル コウトウ シンリ ト ホウソウ タチ

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抄録

<p>本稿の目的は、一九世紀後半のオーストリア民事訴訟立法作業において口頭主義の導入をめぐる動きを明らかにするとともに、弁護士層が新民事訴訟法の「批判者」であるという従来の評価を見直すことにある。<br>フランス革命以降のヨーロッパ大陸諸国における民事訴訟立法では、自由で自律した市民が自身の言葉と責任で権利のために闘争するという自由主義的な訴訟観に支えられ、審理における口頭主義が公開主義とともに大原則の一つとなった。一八七七年に成立したドイツ帝国民事訴訟法は、その集大成であると位置付けられる。<br>このドイツ法にならって、オーストリア=ハンガリー二重君主体制下のオーストリアでも自由主義的な民事訴訟立法が数度にわたって試みられるが、いずれも失敗に終わる。ようやく一八九五年に成立した民事訴訟法の口頭審理には、訴訟の迅速化、真実発見のために大幅に制約が課せられていた。その基礎にあったのは、訴訟は個人による権利のための闘争というよりは、社会的に弱い当事者を保護するための福祉政策の一環であるという、起草者フランツ・クラインによる訴訟観の転換であった。<br>新民事訴訟法に対して、ドイツの著名な民事訴訟法学者であるアドルフ・ヴァッハやウィーンの弁護士イグナツ・コーンフェルトらは、市民の自由を尊重する立場から、口頭主義の制限を批判した。<br>オーストリアの弁護士団体も、長年にわたり、口頭主義や公開主義を原則とした民事訴訟法の制定を要求してきたため、一八九五年の新民事訴訟法に対しては批判者とみなされることが多い。<br>しかしながら、法律専門雑誌に寄せられた各地の弁護士から寄せられた記事を吟味すると、従来から口頭審理の導入に対して、実務に即して憂慮してきた声も散見される。さらに、新民事訴訟法に対する批判点は、専ら具体的に弁護士の利益に反する規定に対してであって、新しい民事訴訟制度全体に対しては、むしろ協力を惜しまない姿が浮かび上がってくる。 </p>

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