内田百閒・盲目の〈闇〉と視覚性、あるいは記憶の表象

書誌事項

タイトル別名
  • Uchida Hyakken, the “Darkness” of the Blind, or the Representation of the Memory:
  • 内田百閒・盲目の<闇>と視覚性、あるいは記憶の表象 : 『春琴抄』から『柳検校の小閑』へ
  • ウチダ ヒャクケン ・ モウモク ノ<ヤミ>ト シカクセイ 、 アルイハ キオク ノ ヒョウショウ : 『 ハル キンショウ 』 カラ 『 ヤナギ ケンギョウ ノ ショウカン 』 エ
  • ――『春琴抄』から『柳検校の小閑』へ――
  • <i>Shunkinsho</i> and <i>Yanagi Kengyo No Shōkan</i>

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抄録

<p>本稿の目的は、内田百閒の小説『柳検校の小閑』(一九四〇年)に描かれた盲者の視覚性の特徴と達成を、谷崎潤一郎の小説『春琴抄』(一九三三年)を補助線としつつ明らかにすることにある。まず、『春琴抄』に対する内田百閒の共感と対抗意識を踏まえつつ、『柳検校の小閑』のテクストの構造に盲者の視覚性がどのように方法的に組み込まれているのかを、記憶の表象との関わりから考察し、同時に盲者の視覚性に着目することによって拓ける読解の可能性を導き出す。次に、百閒と親交のあった盲目の筝曲家・宮城道雄の随筆との関連について、盲者の視覚性の形象をめぐって、内田百閒と宮城道雄双方が互いの作品に及ぼした相互作用・相乗効果を考察し、その共同作業によって、盲者の視覚性についての互いの認識を、単独ではたどり着けなかったであろう深みにまで達せしめたことを証明する。</p>

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