近世後期の活用研究とテニヲハ論における<命令形>

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タイトル別名
  • A History of the Study of the Japanese Imperative in the Edo Period
  • 近世後期の活用研究とテニヲハ論における〈命令形〉
  • キンセイ コウキ ノ カツヨウ ケンキュウ ト テニオハロン ニ オケル 〈 メイレイケイ 〉

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抄録

明治三十年代頃まで、日本語の文法研究では<命令形>を含めた六活用形を立てる立場は少数であった。本稿では、本居宣長、富士谷成章、本居春庭、鈴木朖、東条義門、富樫広蔭、鈴木重胤など、明治期の日本語の活用研究に影響を与えた近世後期テニヲハ論と活用研究における<命令形>に関する言説を辿り、なぜ活用表に加えられなかったのか、その背景を考察した。<命令形>の語形には、大別すれば(1)エ段音語尾をとるものと(2)語尾「よ」を伴う形式の二種類ある。宣長・成章頃までは両者を<テニヲハ>として論じることもあったが、春庭の活用研究によって、(1)は用言、(2)の語尾「よ」は切り離して<テニヲハ>に位置づけられた。このため、<命令形>は用言と<テニヲハ>両方の領域に跨ってしまい、活用表に入れることが出来ず、用言の一用法として活用表の外に記述され続ける。特に「国学風文典」において<命令形>の定着が遅れたのは、このような背景があったためと考えられる。

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