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- 宮寺 晃夫
- 筑波大学
書誌事項
- タイトル別名
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- Some Comments on the Intellectual History of Learning : Do we need to have two sorts of learning?
- 「Learningの思想史」の戦略を問う--ふたつの「学習」が必要か
- Learning ノ シソウシ ノ センリャク オ トウ フタツ ノ ガクシュウ ガ ヒツヨウ カ
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抄録
教育学言語としての「学習」は、心理学言語としてのそれとはことなるつかわれ方をする。心理学言語としての「学習」は行動主義的に定義され、S-Rによる習慣形成から高度な知識の習得まで、ひろく行動の変容を説明する原理としてつかわれる。それにたいして、教育学言語としての「学習」は内容特定的に規定されてはじめて意味をもつ。それゆえ、教育学の立場で関心があるのは、「何が学習されるか」(What is learned?)であって、「学習とは何か」(What is learning?)ではない。この内容特定的に規定される「学習」のルーツはどこにもとめられるのか。ひとつは中世大学でのLiberal artsの学習である。それを松浦氏は'Learning'と大文字で表示し、それは<教える-学ぶ>の教育関係から自立した「人間の知的営み」であったとしている。これは重要な着眼である。しかし問題は、Liberal artsという特定化された内容のLearningが、教育学言語としての「学習」(learning)にどのようにつながっていくかである。このLearningからlearningへのトランスファーを、本稿では思想史的にあとづけていく。
収録刊行物
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- 近代教育フォーラム
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近代教育フォーラム 13 (0), 93-102, 2004
教育思想史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390001205788831616
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- NII論文ID
- 110009927916
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- NII書誌ID
- AN10576381
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- ISSN
- 24238570
- 09196560
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- NDL書誌ID
- 7130164
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- NDL
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可