鍛冶職人から展望する社会 : エチオピア西南部における鍛冶職人の生存戦略

  • 村橋 勲
    日本放送協会・秋田放送局放送センター

書誌事項

タイトル別名
  • Society Viewed from the Blacksmiths' Perspective : The Survival Strategies of Blacksmiths in Southwestern Ethiopia
  • カジ ショクニン カラ テンボウスル シャカイ エチオピア セイナンブ ニ オケル カジ ショクニン ノ セイゾン センリャク

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抄録

本論は、エチオピア西南部の鍛冶職人を対象として、20世紀以降に土着の製鉄が衰退した背景と過程を明らかにし、鍛冶職人と社会との関係の動態を浮き彫りにすることを目的とする。従来の研究の多くは、両者の関係をマジョリティである農民の視点から分析してきたが、本論は鍛冶職人からみた伝統的社会とは何かを明らかにし、社会の変容に対する鍛冶職人の生存戦略を考察する。農耕民族ディメの鍛冶職人はギツィと総称され、集団内での内婚を行ってきた。彼らは農民から特殊な職能集団とみなされ、日常生活のさまざまな面において忌避されてきた。また、伝統的に製鉄と鍛治を生業としてきたが、廉価なスクラップ・メタルの流入や社会主義政権下での土地改革といった要因によって、1970年代後半に製鉄を停止した。製鉄の衰退に伴い、ギツィは鍛治を放棄して農耕に専念する者たちと、鍛治を続けながら農耕も行う者たちとに分かれた。また、1980年代以降には、鍛冶職人の少ない他民族で鍛治をするギツィも現れた。移住者たちは互いに異なる集落に分散して居住し、独自に顧客を得ながらも、ディメに暮らす親族とも密接な関係を維持している。伝統的社会において、鍛冶職人は首長との相互依存関係によって、製鉄と鍛治という生業を維持してきた。しかし、20世紀以降、ローカル社会の変容に伴い、製鉄の存続は困難になり、首長とのパトロン-クライアント関係も失われた。農耕への転換や他民族への移住といった鍛冶職人の生活の変化は、それぞれの職人がローカル社会からの政治・経済的自立を果たす過程における主体的な生存戦略であると考えられる。

収録刊行物

  • 文化人類学

    文化人類学 72 (1), 68-94, 2007

    日本文化人類学会

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