華厳宗・地論宗上での世親の十地について : 「六相」の変遷を中心に

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  • About Dasabhumi of Vasuvandhu in the Kegonshyu-Jironshyu
  • ケゴンシュウ ジロンシュウジョウ デ ノ セシン ノ ジュウチ ニ ツイテ ロ

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抄録

地論宗の根本テクスト『十地経論』(世親著)と華厳宗のそれについての解釈との差異を六相説生成課程を中心ににを検討する。まず、此の両者の媒介として慧遠・法上などがいるが、華厳学の大成者法蔵の思想の要である六相円融義を可能にする地論宗思想を概観するとき、六相説という概念を検討することは無意味なことではないと考える。また、智儼の思想はたいへん広範囲に及ぶが、地論宗の慧遠やシナ仏教という特性を考えた場合、他の思想(仏教以外)から形響はないとすることは有り得ない。つまり、仏教概念だけで六相説を支える無礙を規定していくのは疑問が残る。ここでは六相説の諸々の解釈者による生成の基底には無礙という概念が混入されていくことを中心に見ていくが、しかし、無礙とは何か、あるいはその「無礙」なる概念が果して『華厳経』から或は『華厳経』を根に持つ(ここでは特に世親)唯識から生まれたままの同質のものでありえてきたかどうかの検討は後の課題とする。

収録刊行物

  • 智山学報

    智山学報 40 (0), 167-179, 1991

    智山勧学会

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