ベンヤミンにおける〈娼婦〉と〈人形〉のモティーフ : 商品フェティシズム論のフロイト的読解

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タイトル別名
  • The Motifs of the Whore and the Doll in Walter Benjamin : A Freudian Understanding of Commodity Fetishism
  • ベンヤミン ニ オケル ショウフ ト ニンギョウ ノ モティーフ ショウヒン フェティシズムロン ノ フロイトテキ ドッカイ

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抄録

ベンヤミンの「遊歩者(flâneur)」は、近年の都市研究に欠かせない人物形象となっているが、当初より、男性的「まなざし」の具現化ではないかとのフェミニズム的批判が寄せられていた。遊歩者の特別な対象として「娼婦」が呈示される点に、その批判はとくに集中する。だがベンヤミンは娼婦に出会う遊歩者を、特権的視線をもつ観察者ではなく、むしろ主体性が解体する一種の陶酔者と描いており、娼婦のほうも、経験的実存というよりアレゴリー的現象と考えている。それゆえ問われるべきは、娼婦の形象が喚起する主体の壊乱的作用に、いかなる理論的意義が見いだせるかという点である。こうした問題意識から本稿は、以下の三つの側面を含む論証により、ベンヤミンの娼婦論および遊歩者論のあらたな読解をめざす。第一に、娼婦のモティーフと「人形」の形象との重なりという、従来の解釈では見逃されてきた論点を中心に、「死を意味する生」というアレゴリーの謎をめぐるベンヤミンの潜在的な思考ラインを再構成する。第二に、性倒錯としてのフェティシズムやサディズムをめぐるベンヤミンの思考に焦点をあて、マルクス主義的な疎外論や物象化論による読解とは異なる、商品的存在の「死」の位相を照らしだす。第三に、従来では観察者としての面が強調されていた遊歩者について、娼婦の形象が露呈する「死」との関連より、主体の権能が失われた陶酔者としての側面を浮かびあがらせる。

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